想い出の演奏(24)

ー記憶に残らなかった演奏?ー

フルトヴェングラー指揮
「ドン・ジョバンニ」の想い出


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を初めて見たのは、今から45年ほど前、大阪フェスティバルホールでした。

とは言っても実演ではなく、フルトヴェングラーがザルツブルグ音楽祭で指揮した記録映画なのですが…。


当時はモーツァルトにも声楽にも興味がなかった私が、この映画を見たいと思ったのは、

死後10数年が経過し、既に伝説となっていたフルトヴェングラーの指揮姿を見る一期一会の機会だろうと思ったからに、他なりません。

現在のように、ネットの映像や音で、手軽に観・聴くことができるなどとは、夢にも思えない時代でしたから…。


映画が始まる前の会場の緊張感、そしてドキドキ、ワクワク感は、当時の生演奏開始直前のそれと、何ら変わりないものだったと記憶しています。

そして今でも記憶に焼き付いているのが、

オーケストラのピットに入り、タクトを振り下ろすまさにその瞬間、

フルトヴェングラーの眼光が鋭い光を放ち、

映像を通してでしたが、私までもが金縛りにあったように「ゾクッ!」と身震いしたこと、今でも鮮明に記憶しています。


ただ、お目当てだった彼の指揮姿は、序曲が終わった後は登場することもなく、

「もっと見たい」という願望が次第に強くなって、欲求不満と苛立ちのために、

純粋にこの名作オペラを楽しむ心境にはなれませんでした。

そのために、当時未知だった歌劇の上っ面しか味わえなかったのでしょう。

この曲を、単なるどたばた劇のようにしか感じられませんでした。


結局、フルトヴェングラーの姿が見れたのは、冒頭の序曲を指揮する6分弱の間だけ!

期待は裏切られ、歌劇を楽しむことなく岐路に就いた…

そんな記憶しか残っていませんでした…。


ところで、昨日から2日がかりでクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管の演奏する同歌劇をCDで聴いていたのですが、

記憶の片隅にもなかったはずの音楽から、2か所の印象が蘇ってきたのには驚きました。


1つ目は、冒頭部のクレンペラーの指揮する「序曲」が自宅のスピーカーから鳴り響いた途端に、

歌劇の陰惨な結末を予知させる雰囲気に思わずゾクッとした、45年前の感慨を想い出しました。

同時に、フルトヴェングラーの鋭い眼光の正体は、この結末を見据えたもので、

だからこそ視覚的な印象がいつまでも忘れられずにいたのかと、あらためて納得ができた次第…。


もう1つは、クライマックスとなるドン・ジョバンニの地獄落ちの場面の後…。

彼と所縁のあった人物たちが登場する場面の、百八十度転回した屈託のない明るい音楽に、

人の記憶から忘れ去られることの恐ろしさを感じたこと、鮮明に想い出しました!


これまで何種類かの全曲盤を聴いてきた「ドン・ジョバンニ」ですが、こんな体験は初めてのこと!

フルトヴェングラーとクレンペラーの演奏は、形態こそ異なれ、文学的な解釈は極めて近似していたということなのでしょう…。

興味深い、面白い体験でした。