とは言っても実演ではなく、フルトヴェングラーがザルツブルグ音楽祭で指揮した記録映画なのですが…。
当時はモーツァルトにも声楽にも興味がなかった私が、この映画を見たいと思ったのは、
死後10数年が経過し、既に伝説となっていたフルトヴェングラーの指揮姿を見る一期一会の機会だろうと思ったからに、他なりません。
現在のように、ネットの映像や音で、手軽に観・聴くことができるなどとは、夢にも思えない時代でしたから…。
映画が始まる前の会場の緊張感、そしてドキドキ、ワクワク感は、当時の生演奏開始直前のそれと、何ら変わりないものだったと記憶しています。
そして今でも記憶に焼き付いているのが、
オーケストラのピットに入り、タクトを振り下ろすまさにその瞬間、
フルトヴェングラーの眼光が鋭い光を放ち、
映像を通してでしたが、私までもが金縛りにあったように「ゾクッ!」と身震いしたこと、今でも鮮明に記憶しています。
ただ、お目当てだった彼の指揮姿は、序曲が終わった後は登場することもなく、
「もっと見たい」という願望が次第に強くなって、欲求不満と苛立ちのために、
純粋にこの名作オペラを楽しむ心境にはなれませんでした。
そのために、当時未知だった歌劇の上っ面しか味わえなかったのでしょう。
この曲を、単なるどたばた劇のようにしか感じられませんでした。
結局、フルトヴェングラーの姿が見れたのは、冒頭の序曲を指揮する6分弱の間だけ!
期待は裏切られ、歌劇を楽しむことなく岐路に就いた…
そんな記憶しか残っていませんでした…。
ところで、昨日から2日がかりでクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管の演奏する同歌劇をCDで聴いていたのですが、
記憶の片隅にもなかったはずの音楽から、2か所の印象が蘇ってきたのには驚きました。
1つ目は、冒頭部のクレンペラーの指揮する「序曲」が自宅のスピーカーから鳴り響いた途端に、
歌劇の陰惨な結末を予知させる雰囲気に思わずゾクッとした、45年前の感慨を想い出しました。
同時に、フルトヴェングラーの鋭い眼光の正体は、この結末を見据えたもので、
だからこそ視覚的な印象がいつまでも忘れられずにいたのかと、あらためて納得ができた次第…。
もう1つは、クライマックスとなるドン・ジョバンニの地獄落ちの場面の後…。
彼と所縁のあった人物たちが登場する場面の、百八十度転回した屈託のない明るい音楽に、
人の記憶から忘れ去られることの恐ろしさを感じたこと、鮮明に想い出しました!
これまで何種類かの全曲盤を聴いてきた「ドン・ジョバンニ」ですが、こんな体験は初めてのこと!
フルトヴェングラーとクレンペラーの演奏は、形態こそ異なれ、文学的な解釈は極めて近似していたということなのでしょう…。
興味深い、面白い体験でした。