1953年、フリッツ・ライナーが第6代音楽監督に就任して以降、伝説的な厳しいリハーサルによって、全米でも1、2を争う実力を有するようになったこのオーケストラは(第1期黄金時代)、
1969年に第8代音楽監督に就任したショルティによって、更にアンサンブルは練り上げられ、世界屈指のヴィルトゥオーソ・オーケストラと評されるに至って、第2期黄金時代を迎えるに至っていました。そんな絶頂期に初の来日公演が実現。
公演曲目はドビュッシーの交響詩『海』と、ベルリオーズの『幻想交響曲』というポピュラーな内容でしたので、
「実力世界No.1一のオーケストラって、どんな音がするのだろう」
指揮者ショルティに対する興味よりも、明らかにオケに対する興味が先行した、そんな思いでチケットを入手したことを記憶しています。
物凄い音でした!
ただ、天井が抜けんばかりの、それまでに聴いたこともなかった超弩級の大音量にもかかわらず、
あくまでも音色は澄みきっており、一つ一つの音が手に取るように明晰に聴こえるという、実に不思議な体験でした。
それまでに同じホールで実演を聴いた
カラヤン/ベルリン・フィル、
バーンスタイン/ニューヨーク・フィル、
ハイティンク/コンセルトヘボウ、
世界トップクラスのオーケストラからも体験できなかった、
素晴らしく透明な質感を有した音でした。
そんな素晴らしい音を聴いたにもかかわらず、音楽から感動を受けることができませんでした。
一音一音があまりに明晰であるためか、その音圧に隙間のようなものが感じられて、
空疎で重量感に欠けるという印象を抱いたためだと思います。
オーケストラの楽譜には、何段にもわたって楽器ごとの音符が書かれていますが、
ショルティは縦に並んだ楽器ごとの音符が、一糸乱れぬように演奏することを徹底して要求したと言われています。
ところがヨーロッパの伝統あるオケでは、
それぞれが長年の習慣で培ってきた縦一列に並んだ楽器間の音の出の微妙なずれを身に付けており、
そのことが、オケ固有の音色を醸すことに繋がるとされています。
そういったヨーロッパの音に慣れてきた私には、感覚的にショルティの演奏が受け容れられなかったのかな?
先日、ショルティが指揮するエルガーの『威風堂々』を聴きながら、34年前を想い出しつつ、そんなことを考えていました。
我家のCD棚には、ショルティのディスクは数えるほどしかありませんが、
アメリカでは未だに高く評価されているという彼の演奏を、あらためて気を入れて聴いてみたいと思いました。
何か新しいことが発見できることを、期待しつつ!