大阪の難波にあるビルの一角に、『テレーゼ』というクラシックの輸入CD専門店がありました。
そこにはご主人の趣味の良さを感じさせるQUAD ESL-63proとCelesion(型番は失念)という、古いオーディオファンにはおなじみの、二種類の英国製スピーカーが置かれていました。
私は、それらのスピーカーから流れる典雅な趣が感じられる、個性的でバランスの良い音色に惚れて、
それまで聴いたことのない曲や、無名だった奏者の演奏に魅せられて、レパートリーを広げていったものでした。
中でも今も記憶に残っているのが、ESL-63から流れる、表題のディスクに聴けるフラウト・トラヴェルソの、えも言われぬ典雅な音色でした。
私にとっての、それまでの古楽器による演奏のイメージは、
現代の奏法とは異なったアーティキュレーシのせいか、音楽に安定感がないように感じられ、
ピリオド奏法と聞いただけで、端から毛嫌いしていました。
しかしながら、この演奏には一聴惚れし、躊躇なくCDを買って、我が家での再生を楽しみに、喜々として持ち帰ったことを覚えています。
ところが、我が家で再生されたこの演奏は、それまでの古楽演奏とさして代わり映えのしないものでした…。
『テレーゼ』で聴いた時には典雅だったフラウト・トラヴェルソの音色も、我家の再生装置では、不安定さの方が際立つようの思えて…。
それ以降、プレーヤーやアンプが動かなくなって、やむを得ず新しく購入する際には、「もしかしてあの音色が…」と期待しながら試聴したものでしたが…
いかんせんESL-63の奏でる音色は、望むべくもありませんでした。
それほどまでに心に残る再生だったのです…。
昨日、ふと思い立って、7年振りにこのディスクを聴いたのですが…。
嘗て『テレーゼ』で聴いたフラウト・トラヴェルソの、古風で微妙に陰影が変化するあの雅な音色が、再現されていると感じたのです。
聴き続けることによってようやく得られた感動に、嬉しさと満足感がこみ上げると同時に、
「そこそこのオーディオ機器ゆうもんは、長いこと付き合うてると、それなりの音を出してくれます。私は、そない思うてますねん!」
『テレーゼ』のご主人のそんな言葉を、突然思い出しました。
気概をもって癌との闘病生活を送られつつも、体調不良には勝てずに、
志半ばにして閉店され、その数ヶ月後には亡くなられたご主人の、お元気だった頃の笑顔が思い出されてしまって…。
「たかが趣味のことでも、色んな人たちに支えられてきたのだなぁ」と、柄にもなく感傷的になってしまいました。