想い出の演奏(18)

ー伝説的名演ー

マーラー:交響曲第9番

レナード・バーンスタイン指揮  ニューヨーク・フィル
1970年8月29日  フェスティバル・ホール(大阪)


澄み切った快晴の秋空を眺めていると、無性にマーラーの交響曲第9番が聴きたくなってきます…。

今から40年前のその日は、秋の気配が漂う、快晴の日だったように記憶していますが…。


1970年8月29日、私は大阪国際フェスティバルホールの聴衆の一人として、今や伝説として語り継がれている、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルによる、マーラーの交響曲第9番を聴きました。

終楽章冒頭部の痛切な悲しみをたたえた旋律(序奏部)が、すぐに浄化され、美しい思い出を回顧するように語られ始めた時(主題部)、

思いがけずも涙が溢れ出たことを、昨日のことのように覚えています。

そして、何度も何度も涙が溢れ出たことも…。!

最後の音が消え去った後も、この美しい時間がいつまでも続いてほしいと、そう願ったことも…。

指揮を終えたバーンスタインの背中がようやく動き出す気配を感じるまでには、30秒以上が経過したと思います…。

この瞬間が終わることを惜しみつつ、遠慮がちにパラパラと鳴り始めた拍手を合図に、たちまち堰を切ったような大歓声が!

得難い、幸福なひと時を体験できたと、感謝しています。


このコンサートに足を運ぶまでは、マーラーの曲を意識して聴いたことはありませんでした…。

世界的に高名な指揮者見たさ(?)に、入手可能だったこの日のチケットを購入したのでした。

生まれて初めて、正面から対峙して聴くマーラーは、

それまでになじんできた曲とは異なり、

雑多な楽曲が際限なく提示されたり、

唐突に耳障りな和音が提示されたり、

諧謔味を帯びた旋律が登場したり…

バーンスタインの情熱的な指揮ぶりを目にしつつ、視覚的には盛り上がりを感じつつも、聴覚上は感動することができず、

正直、第1〜3楽章までは、居心地の悪さに辟易としていたことも事実です。

しかし終楽章の圧倒的な感動が、それまでのすべてを払拭してくれたおかげで、40年後の今も、至高の名演として心に残っているのです。


全4楽章が素晴らしいと思えるようになったのは、実は当地での生活を始めたことがきっかけでした。

我が家は、周囲を落葉松林に囲まれた山の中にあるのですが、

ある夜、庭のベンチに腰掛けて鳥たちの声に耳を傾けていると、突然この曲の第一楽章がシンクロして、響いてきたのです。

マーラーの交響曲でも特別なものと思い込んでいたこの曲にも、他の交響曲と同じように、随所に自然が描写されていることを知り、

肩肘を張ることなく、この曲のありのままを聴けるようになったのだと思います。

もう一度あの演奏が聴ければ!叶わぬ夢なのでしょうが…