想い出の演奏(16)

ーバッハアレルギーを払拭した演奏ー

J,S,バッハ:

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番

ヴァイオリン:ヘンリック・シェリング


バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ!

この曲のせいで(?)、私は20数年間にわたって、バッハの曲を好きになることができませんでした。

もっとも、当時の私の音楽への接し方が悪かったのであって、曲には何の罪もないのですが…。

学生時代、京都の岡崎公園のすぐそばに、クラシック音楽喫茶がありました。

京都の町屋特有の、間口が狭く奥行きの深い作りの店で、窓はなく…

薄暗い店内には簡素で小さなテーブルが各列に二脚ずつ置かれ、その両側に並べられた椅子は、全てスピーカーに向かって並べられており…

レコードがかかっている間の私語は、勿論一切禁止でした!

喫茶店のコーヒーが100〜150円の時代に、この店では一人が1曲リクエストする権利を有して、コーヒー一杯が400円。

もし、私の意が通じて、お付き合いしてくれる彼女さえいれば、多分出入りすることはなかったでしょうが、残念ながら…。

私が当時聴いていたのは、もっぱらドイツ・オーストリア系を中心としたオーケストラ曲でした。

我が家のステレオではとうてい耳にできない迫力を求めて、この店を訪れていたのですが…。

当時その近くにあった芸大の学生もよく顔を見せていて、圧倒的に多かったリクエストが、バッハの諸作品!

自分のリクエストした曲を待つ間、大らかな気持ちで楽しめれば良かったのでしょうが…

ところが、「次は自分のリクエストが…」とわくわくするするよりも、

むしろ、「まだかまだか…」といらいらする気持ちの方が圧倒的に強いという、難儀な性分の持ち主でした。

ある時、自分のリクエストした曲が待てども待てどもかからずに、

音色が単調で緩急強弱に乏しく、退屈としか思えないバッハの無伴奏のヴァイオリン曲が延々と続いたため、

我慢も限界に達して席を立ち、それ以降にこの店を訪れることはありませんでした。

社会人になって10年ほどが経過した頃、「そろそろバッハも聴いてみたい!」と思い立ったのですが、いざスピーカーの前に座って曲が始まると、バッハに限ってイライラが募ってくるのです。

その原因が、どうやら学生時代の喫茶店での体験に関わったものだろうと気づくまでに、何年かの時間を要しました。

しかし、それが判ったところで、何の解決策にもなりませんでした…。

40歳代の半ば頃、小春日和の午後、あまりに気持ちが良かったので、窓を開けっ放しにして風を入れながら、シェリングが演奏する表題の曲をCDプレーヤーのトレイに載せると…

思いがけずも、背筋がピンと伸びきった格調高いバッハ(今でも覚えていますが、その時の実感です)が、素晴らしい音楽として響いてきたのです!

自然に包まれ、まさしく『自然体』で聴くことによって、初めてバッハの音楽を「素晴らしい!」と感じることができました。

それまでは、「さあ、聴くぞ!」とばかりにスピーカーの前に陣取って、難しい顔をして音を楽しもうとしていたのですが、これをきっかけに私の聴き方も、徐々に変わっていきました。

そんなきっかけを与えてくれた曲であり、演奏だったのです!

もちろん今も、最高のバッハ演奏の一つだと思っています。