ピアノ三重奏曲『偉大なる芸術家の思い出』
今からほぼ30年前、私にとっては初めて足を運んだ室内楽コンサートで、スーク・トリオの演奏でこの曲を聴いた時の、率直な感想です。
決して悪い意味で言っているつもりはありませんが、
チャイコフスキーが、敬愛するピアニストのアントン・ルビンシュタインの死を悼んで書いた作品をこのように表現することは、礼を失したことかとも思います。
でも、初めて聴いた時にそんな感慨を覚えて、メランコリーな抒情に溢れたこの曲にのめり込んでいったことは事実です。
その時のプログラムは、チャイコフスキーをはさんで、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第4番“街の歌”と、第7番“大公”の3曲でした。
有名なスーク・トリオを観たいのと、当時室内楽では数少ない好きな曲の一つだった“大公”を聴きたいために足を運んだコンサートでしたが、初めて聴いたチャイコフスキーに、完全に打ちのめされてしまいました。
「思いがけない曲でこんなに満足をしたうえに、“大公”まで聴けるなんて、何と幸せなことだろう!」なんて考えながら、後半のプログラムに臨んだのですが…。
しかし、感動という器にも限度があるらしく、プログラム前半で殆んど使い果たされたようで、お目当ての“大公”を聴いている間も、頭の中ではチャイコフスキーが鳴り響いていました。
その後しばらくの間、すっかりこの曲に惚れ込んだ私は、当時入手できるレコードを殆んど聴きましたが、結局はスーク・トリオ以外の演奏を受け容れることは出来ませんでした。
端正でなおかつ情熱的!そんな相矛盾するような印象を、このトリオの演奏には感じていました。
それは、コンサートホールで聴いた一期一会の演奏からだけにとどまらず、スタジオ録音されたレコードにも同じ印象を感じていました。
その後も、この曲に関しては、知と情のバランスがとれた演奏に、なかなか巡り会えません。
その意味でも、スーク・トリオの演奏は、今もこの曲の愛聴盤として、度々取り出す一枚となっています。