想い出の演奏(12)

ーオケの迫力を満喫した曲ー

マーラー:交響曲第1番『巨人』

バーンスタイン指揮  ニューヨーク・フィル


今でこそマーラーの交響曲は、海外・国内のオケを問わず、集客効果の高い人気プログラムとして、コンサートで頻繁に採り上げられています。

しかし嘗ては、一部の愛好家を除けば、難渋な曲として毛嫌いされていました。
特に昭和の10年代以前に生まれた方には、その傾向が強いようです。

私は学生時代に、森正/京都市響の第1番や、大阪万博記念公演のバーンスタイン/ニューヨーク・フィルの第9番を相次いで実演で体験して大きな感動を受け、一時はマーラーに開眼したと思いました。

しかしその後は、一部の曲の気に入った楽章を抜粋して聴く程度で、全曲を通して聴くことは殆んどありませんでした。

理由ははっきりしています。
それまでに聴いてきた古典派やロマン派の整然とした曲の運びとは異なり、

各楽章中には雑多な楽曲が散りばめられたり、

それらが唐突に提示されたり、

これまでに体験したことのない諧謔性を帯びていたり等々、

その斬新性に違和感を覚え、曲に集中することができなかったためです。

ただ、第1番だけは例外でした。

森正/京都市響のコンサートで、全4楽章に漲るばかりの曲想の若々しさと情熱的な演奏に感激し、

当時ドイツ語の授業で習ったばかりの、“Sturm-und-Drang(疾風怒濤)”という言葉にピッタリの曲だと感じました。

“今を耐えしのげれば、必ずや勝利の凱歌に酔える日々が到来する”。

若き日の自分を苦悩する人間に見立てて、痺れるような快感に酔いながらこの曲を聴いたものでした。

それから40年が経過した今も、この曲は懐かしい青春の思い出として、度々聴きたくなる曲の一つです。

第1楽章は、深閑とした森の夜明け。
鳥たちの鳴き声を模した木管の響きすら、旅立つ若者の前途洋々たる未来を信じさせるように聞こえます。

第2楽章は、ほろ酔い加減の人々の楽しげな踊りの情景。
中間部のまどろみの音楽は、屈託のない若者の姿そのものと感じられます。

第3楽章はよく葬送行進曲と言われますが、私には深刻さはあまり感じられず、むしろメルヘンの世界を想像してしまいます。

第1〜第3楽章までは、世の中に甘えていた若き日の姿を想い出しながら聴いています。
しかしそれは、かけがえのない愉しい想い出ではあります…。

第4楽章冒頭のシンバルンの一撃で自分の青さにようやく目覚め、力強く人生立ち向かって邁進する、そんな印象を抱きながらこの曲を聴いています。

そして私にとってのスタンダードな演奏は、若き日はまさに疾風怒濤を思わせるバーンスタイン/ニューヨーク・フィルの旧盤、今は同じくコンセルトヘボウとの新盤を愛聴しています。