モーツァルト・ベートーヴェン・ブラームス・マーラー・ブルックナー・R.シュトラウス等々、所有しているオーケストラ曲にウィーンフィル≠ニ記されたディスクが一体どれくらい有るのでしょう。
私にとってウィーンフィルの名は、聴いて失望する事は先ず無い、というブランドの証でもあります。
初めて生でウィーンフィルを聴いたのは、1975年の大阪フェスティバルホールでした。
指揮はR.ムーティー。
今でこそミラノ=スカラ座の音楽監督として、現役指揮者のトップに位置する存在ですが、その頃はヴェルディの歌劇『アイーダ』でレコードデビューを果たしたばかりの新人。
当時の大看板K.ベーム(日本では、当時カラヤン=ベルリンフィル以上の人気を博していました)との二本立てで、地方都市では専らムーティーが指揮台に上がっていたように記憶しています。
本命のベームが大阪には来ない為に、さして興味は無かったのですが、コンサート前日に、後援する新聞社に勤める知人からチケットを頂くことができました
第一曲目はヴィヴァルディ(曲名は忘れました)。冒頭、弦の奏でる柔らかい響きに、会場全体が感嘆のため息に包まれたことを記憶しています。
その後二度、ウィーンフィルのコンサートには足を運びました。
ベートーヴェン・シューマンと曲も違いますし、マゼール・ハイティンクと指揮者が異なっているにも拘わらず、最初の音が鳴り響いた瞬間の聴衆の反応が共通していたのは、大変に印象深い出来事です。
これが所謂ウィーンフィル特有の音色なのでしょう、他のオーケストラでは体験できない瞬間と思います。
当日は、ブラームスの交響曲第四番をメインに、計三曲演奏されました。
唯、東京でのベームとの伝説的な熱演の直後で疲れが出た為か、或いは冒頭に述べた理由に拠るためか。
いずれにせよ、本プログラムは「うまいなぁ!」とは思いつつも、今一つ覇気がない演奏と感じられました。
しかしながら、当日の白眉はアンコールに演奏されたヴェルディの歌劇『運命の力』序曲。
指揮台に飛び乗ったムーティーが間髪を入れずに振り下ろした棒から、生き返ったように覇気のある金管のファンファーレが鳴り響き、弾む様なうねりを伴った弦の呻りに、漸くウィーンフィルが本気を出した、と直感しました。
それに続く木管の奏でる旋律には、クラシック音楽で初めての目眩く様な官能を体験。
そして集結部、うねるように音量と速度が増すクレッシェンドに、ホール全体が興奮の坩堝に化したことを想い出します。
イタリア人指揮者ムーティーが、母国の大作曲家に示した解釈にウィーンフィルが共感し、全力投球した演奏だったのでしょう。
オーケストラの奏でる美しい響きに酔い、力強い演奏の乗りにも酔った、感動的な演奏でした。
前述したように、ウィーンフィルを生で聴いたのは三度だけですが、このオーケストラが全力で演奏したと感じたのは、この時の『運命の力』だけ。
演奏に大きな不満を抱いた記憶は有りませんが、響きの美しさを除くと、曲に関する印象は全く残っていません。
数多くある手持ちのディスクでも、強いインパクトを与えてくれた演奏は、今は亡き一部の指揮者に限られているように思えます。
それだけに、このアンコール演奏は、大変に貴重な体験でした。