期待していた我が家の栗の実の収穫も、不順な天候が災いしてか、はじけないままに落下するものが多く、偶に収穫できても、大部分が虫食いの状態。
今年も栗づくしの食卓は期待できそうにありません。
ここ数日の別荘地内の掲示板(勿論インターネット上の)で、軽井沢のにおいがする∞軽井沢の香りを嗅ぎたい≠ニいった書き込みを目にしました。
どうやら、腐葉土の湿り気を帯びた匂いの事を指されている様ですが、この匂い、冷涼な大気の中ではとりわけ香しく感じられるもので、湿気の多い軽井沢の、秋の風物詩なのかもしれません。
晩秋には、落葉を集めて焚き火でもすれば風情が有るだろうなぁ…、などと考えていると、突然イッポリトフ=イヴァノフ(ロシア:1859〜1935)の組曲『コーカサスの風景』を想い出しました。
その第二曲村にて≠フ冒頭。
今から15年以上も前に、イングリッシュホルンにより奏される旋律を初めて聴いた時、子供の頃、辺りが暗くなり始めた夕暮れ時に感じた物悲しさを思い起こしました。
そして、音楽から薪や落ち葉を燃やす匂いを嗅ぎとった事を記憶しています。
私が物心ついた昭和20年代の後半は、未だ都市ガスは普及しておらず、夕方になると其処此処の家の煙突から、夕餉の支度や風呂を焚く為の薪を燃やす煙が立ち昇り、近所一帯に燻った様な匂いが漂っていました。
夕暮れ時の物悲しさと立ち昇る煙の匂いは、切り離せない幼い頃の懐かしい心象風景です。
そんな光景を思い起こさせてくれたのが、この曲でした。
組曲『コーカサスの風景』は、川の流れや滝の轟音を巧みに折り込んだ山道にて
黄昏時の憂愁を彷彿させる村にて
鄙びた礼拝所で敬虔な祈りを捧げる村人の姿を想像させるモスク(回教の礼拝所)にて
そして威張った姿がどこかユーモラスな酋長の行進
こんな標題のついた四曲から構成されています。
四曲共に、物悲しさを帯びた旋律が懐かしい曲想とテンポで貫かれており、私にとっての昭和20年代という古き良き時代を彷彿させてくれます。
今回聴いたCDは、グルシュシェンコ指揮のBBCフィルハーモニックの演奏(CHANDOS:9321)。
イギリスのオーケストラらしく端正な演奏で、土俗的な香りは余り感じられませんが、曲の美しさは存分に堪能できました。
少しメランコリーな気分に浸りたいときにお薦めできる、ストレスフリーな曲であり演奏である、と思います。