その白眉が、カラヤン・ベルリンフィル。
五夜に渡るベートーヴェン交響曲全曲演奏に加え、プログラム未定の一夜が組まれていました。
当時の私は、「ベートーヴェン演奏はフルトヴェングラーに尽きる」と固く信じ込んでいました。
ですから、このチクルスには見向きもせずに、残りの一夜を期待して、チケットを入手しました。
前回のコラムで書いた京都市交響楽団のシベリウスを聴いて以来、すっかりこの作曲家に心酔していた私は、オーケストラ作品を中心に様々なレコードを聴き漁っていました。
その中でもカラヤン・ベルリンフィルによる交響曲第五番の圧倒的な金管の響きに心酔。
これが生で聴ければ!と密かに期待していたのですが…。
そんな願望は見事に外れ、モーッァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク
現代音楽作曲家フォルトナーの日本初演作品
そしてブラームスの交響曲第二番
当時の私には地味と感じられるプログラムでした。
それでも生でカラヤンを見、聴けるという期待の大きさは大変なものでした。
演奏開始直前の息詰まる様な緊張感は、今もはっきりと憶えています。
このコンサートで、今も記憶に残っているのは、アイネ・クライネ・ナハトムジーク第三楽章(メヌエット)のトリオ部分。
あまりの美しさに、会場全体が感嘆のため息に包まれました。
こんなに美しい瞬間は、40数年に渡る音楽聴取歴の中でも記憶に無いのですが…。
当時、モーッァルト演奏はウィーンフィルをもって最高となす、的な風評がはびこっていました。
それを信じ込んでいた私は、一期一会の名演に感動しつつも、「もしこれがウィーンフィルなら、もっと美しい演奏が可能だったはず!」と、素直にその時の感動を享受することが出来なかったのです。
その後、様々な指揮者によるウィーンフィルのアイネ・クライネ・ナハトムジークを聴いたのですが…
結果は、徒労に終わりました。
考えてみれば、私の人生では、この時の様に先入観を強く持ちすぎたが為に、評価すべきものを正しく評価出来なかった過ちを、何度も繰り返してきた様に思われます。
ミスは恐れませんでしたが、岐路の判断を誤らないように、極力ステレオタイプな考えに基づき、物事を選択してきました。
今、「せめて音楽だけは!」と謙虚に耳を傾けるようにしているつもりなのですが…。
振り返ったカラヤンがニコッと笑ったので、ようやく曲が終わった、と知れた複雑難解だったフォルトナー。
冒頭からいきなり音をはずしたホルンに始まり、二・三楽章では、客席から寝息さえ聞こえたブラームス。
ティクルスの疲れからか、何か精彩がない演奏でした。
そのために、その後は彼のコンサートに足を運ぶ気持ちになれませんでした。
1989年、彼の訃報を聞いた時、私も彼の死を大変に悔やんだ一人です。
CDで、彼の演奏の良さが漸く理解できるようになった矢先の出来事でしたから…。