コンサートチケットはカラヤン・ベルリンフィルやバーンスタイン・ニューヨークフィルといった超一流と評される演奏団体でも、3200円(S〜E席の内のC席)。
定期会員になっていた京都市交響楽団に至っては、新譜一枚を我慢すれば、3回は生演奏が聴けたと記憶しています。
学生だった私にとって、LP1枚の価値は生協食堂のスペシャルランチ×20日分。安易に入手出来るものではありません。
自分で給料を稼げるようになるまでは、FM放送や生演奏で曲を知り、感動した演奏のみを、限られた小遣いの中から一枚ずつ買う、というのが基本的なパターン。
輸入盤CDが安くなった昨今のように、衝動的に入手して、買った事すら忘れてしまう事などは断じて有りませんでした。
そんな事情に加え、時間は有り余っていましたので、未知の曲を聴く為に、コンサートには良く通ったものです。
京都市交響楽団のコンサートの中で、最も印象に残っているのが、渡辺暁雄氏が指揮したシベリウスの交響曲第二番。
私にとっては初めて聴く曲でした。
日本フィルの創始者でもある氏は、確か御母堂がフィンランド人。
独襖系音楽中心だった当時の日本楽壇に、北欧音楽を精力的に紹介されていました。
この時の演奏で、今も強烈に残っている部分が三カ所有ります。
第一楽章冒頭、弦の短い序奏、それに続く木管の鳥の囀りを彷彿させる旋律は、それまで聴いたことのない耳新しい響きです。
演奏が始まった瞬間に、シベリウスの世界に惹き込まれてしまいました。
これがフィンランドの情景!
瞬時にイメージが膨らんだ事を憶えています。
遠雷を思わせるティンパニーの響きに続いて、低弦のピッチカートで開始される第二楽章冒頭
地を這うような呻りと、左右奥行きの拡がりが素晴らしく印象的
こんな音が我が家のステレオ装置で再現できれば、と痛切に感じました。
第三楽章から切れ目なく続く終楽章では動機が急速に発展、弦が高らかに奏する民族色の濃い印象的な旋律が、序々にクライマックスへと高揚していく流れに、演奏者と聴衆が一体となって、会場全体が興奮の坩堝と化したことを覚えています。
帰途、感動覚めやらず、初めて聴いたその旋律を何度も口ずさんだものでした。
以降、様々なディスクを聴きましたが、この時の生の感動を上回る演奏には出会っていません。
生≠ノ勝るものはない、と安易に言うなかれ!
20000円以上のチケットを買って、不満たらたら帰途についたことも少なからず経験している私…。
この時の演奏は、私にとってこの曲との一期一会の出会いだったと信じています。