想い出の演奏(3)

-クラシックに目覚めたディスク-

ドヴォルザーク:交響曲第九番『新世界』

バーンスタイン指揮  ニューヨーク・フィル


これは、父が買って来た唯一無二のレコードです。

職場の同僚の方が勧めて下さったらしく、私にとっての3枚目のコレクションです。

この演奏を聴いての感動が、爾来40数年にわたってクラシック音楽を聴き続けるきっかけとなりました。

私が中学二年生の頃の話です。

 「新世界≠ニいう大阪の地名が何故クラシックに?」との無知から来る疑問は、ジャケットの解説を読むことですぐに解消。

一時も早く聴こうとする私を父は制し、「食事が終わったら皆で一緒に聴こう」と言い出したのです。

自分の持ち帰った芸術を家族全員に紹介し、賞賛を得たかったのでしょうか。

B型人間の父から「皆で一緒に」なんて言葉を聞いたのは、後にも先にもこの時だけでした。

祖父母・両親・弟と私の六人の聴衆を前に、曲は仰々しく開始されましたが、第一楽章終了時に残っていたのは父と私だけ。

その父も第二楽章途中でリタイア、我が家の文化大革命は見事に失敗に終わりました。

弱音で開始される第一楽章序奏部は、初めて体験する異様な熱気をはらんだ演奏でした。

続く第一・二主題は初めて耳にする曲なのに懐かしい親しみを感じたのは、小学生時代から音楽の授業で親しんでいたフォスター等のアメリカ民謡の影響でしようか…。

続く第二楽章、イングリッシュホルンが奏する旋律を聴いて、嬉しさと懐かしさで目頭が熱くなりました。

この曲、小学校の課外学習で訪れたプラネタリウムで、満天に輝く星座のバックに流れていた忘れがたい印象的な旋律です。

それが、思いがけずも目の前のスピーカーから流れてきたのです(『家路』として愛唱されています)。

この美しい曲の原点を知った喜びに加え、その頃の想い出が走馬燈のように蘇った事を今でもはっきりと覚えています。

「クラシックてこんなに素晴らしいんだ」と感激した最初の瞬間でした。

追い打ちをかけるように同楽章の中間部

ゆったりと低弦が刻むピッチカートにのってすすり泣くように切々と歌われる旋律に、初めて音楽に陶酔するという体験を得ました。

鳥の囀りを模したようなオーボエの動機が静けさを打ち破るまでは、息もつかずに曲に集中したものです。

クラシック音楽に親しむ為に『田園』や『鱒』のディスクを購入したものの…

それらの演奏ではさしたる感動が得られなかったために、クラシックから再び遠ざかりつつあった時期でした。

この時に父が『新世界』を買って来なければ、生涯にわたりクラシック音楽に親しむ機会は無かったかも知れません。

爾来、何十種類もの『新世界』を聴いてきましたが、この演奏とはもう30年以上ご無沙汰しています。

CD化されたことは承知していますが、心の中に大切にしまっておきたいからこそ、敢えて聴こうとは考えません。

「自分の葬儀に流して欲しい曲」

愛好家は様々曲を挙げられますが、私の場合はこのディスクの第二楽章で、と考える程に思い入れの強いディスクです。