想い出の演奏(2)

-鱒アレルギーになった演奏-

シューべルト:ピアノ五重奏曲『鱒』

演奏者不明


私が2枚目に購入したディスクです。

この演奏を初めて聴いた時から感動できなかったのみならず、聴く度に辟易とした気持ちになり、ついには取り出すこともなくなったレコードでした。

そんな体験が長年にわたって払拭されなかったために、長らくこの曲は、どんなに名演と評判の高い演奏で聴いても、退屈さに襲われて、聴き通すことができませんでした。

そもそもこの曲を聴こうと決意した動機からして、不純なものでした。

私が在学していた中学で発刊された文集に、美しい旋律≠ノ溢れた名曲として鱒≠ェ紹介されていました。

一年年上のチャーミングな女性の書いたエッセイで、余程の名文だったのでしょうね。

「彼女と感動を共有したい」という、半ば憧れのような気持から、曲の内容も検討せずに、「2枚目に書く買うレコードはこれ!」と、早くから決めていました。

月々300円の小遣いを全額残し、孫には甘かった祖父におねだりしても、入手するまでには3〜4ヶ月はかかったと記憶しています。

漸く貯まったお金を握りしめて訪れた近所のレコード店には、事前の調査で名演と言われていたディスクは無く、在庫は一種類のみ。

でも、一時でも早く美しい旋律≠聴きたかった私は、「曲を生かすも殺すも演奏家次第」との先輩の助言を忘れ、即購入!

その演奏が与えてくれた印象は、冒頭に書いた通りです。

クラシックを聴き始めてから30歳半ばにさしかかるまで、私が好んで聴いたのは殆どがオーケストラ曲でした。

それも、クライマックスで咆吼する金管や強打される打楽器の音と、

それに対比する弱音部での息を呑むような緊張感に魅せられて

ダイナミックレンジの広い曲が専らレパートリーの中心を占めていました。

何となくクラシックを聴き始めたばかりの私にとって、室内楽のような地味な分野の曲に親しむことは所詮無理が有ったのかも知れません。

当時の私にとっては高い授業料でしたが、「安易にレコードを買うものじゃない」ということを知らしめてくれました。

こんな鱒アレルギー≠ェ解消されたのは1993年の事でした。

ウイーンフィルのメンバーとJ.レヴァイン(P)の演奏する鱒≠聴いて「眼から鱗」が落ちました。

第一楽章第一主題の鄙びた味わい

同第二主題のメランコリー……

記憶に残る鱒≠フイメージを払拭するような、溌剌さの中に軽妙で繊細な歌心に溢れた素晴らしい演奏です。

エッセイを目にして実に30数年、この曲の持つ美しい旋律≠ェ初めて実感できたように思いました。

情操教育と称して、子供を連れたお母さんを演奏会場でよくお見受けしますが、そんな時、TPOが重要なのにと、いつも思ってしまうのです…。