それから3〜4か月の間は、我が家のレコード盤は、これ1枚きり。
一日一回は聴いていたと思います。
合計すると、少なくとも200回は聴いたでしょうね。
針によって削られた盤面は白く変色し、演奏はノイズに埋もれてしまいました。
今の方には摩訶不思議に感じられるこんな話も、当時の事情を知る私と同年代や年長の方には、「なるほど!」と納得して頂けるのですが…。
しかし、私とわずか5年ほどしか年齢が違わない方からは、「どうしてカセットテープにダビングしないのですか」と、いぶかしげに聞かれます。
私の中学生時代は、録音機器自体がはステレオ装置よりも遥かに高価なもので、わざわざダビングするなんて考えも及ばない時代でした。
ところが、僅か数年後には、技術の進歩と急速な需要の拡大によって、カセットデッキを標準装備した機器が、考えられないほど安い価格で、市場に出回るようになりました。
そんな時代に音楽を聴き始めた人にとっては、相変わらず高価だったレコードの盤面を傷つけないように、ダビングした上で、テープを聴くことが常識となっていたのです。
ところが時代を経て、現在30歳代半ば、バブルの申し子のような甥にとっては、ディスク自体にそれほどの価値がなさそうです。
「伯父さんが中学生時代の1961年頃、大卒者の初任給は15000円程度。LP新譜1枚の価格1800円。今に換算すると1枚20000円以上の貴重品だった」。
そう説明すると、「狂気の沙汰ですね」と言わんばかりの反応。
彼の部屋には、インターネットからのダウンロードして、未だ一度も聴いていない音楽が、数多く眠っており、どんな曲があるかも把握できないそうです。
そんな潤沢な音楽事情を喜ぶべきなのか…、複雑です!
余談が長くなってしまいました。
ちょうどこの時期の私は、学校から帰ると外出することを嫌悪する、一種の引き籠り状態に陥っていました。
そんな事情も重なって、来る日も来る日もワルター盤を聴き続けました。
ただ、当時の私には、取り立てて印象的な部分もなく、大きな感動を得た記憶もない演奏でした。
しかし、飽きずに聴けたということは、心には響いていたことは間違いのない事実でしょう。
その後しばらくは、この曲の他の演奏を受け容れることができませんでした…。
後年になってこの演奏がCD化され、改めて聴き直した時には、LP購入当初からあった盤面の傷に起因するノイズが聞こえないために、物足りなさを感じ、不思議な気持ちになったものでした。
ノイズまでをも演奏の一部として体験していた、今の時代には到底考えられないような、そんな想い出の記されたディスクです。