放 浪 記 (139)

R.シュトラウスの歌曲「明日」

2016.2.28


最近、これまでどちらかというと苦手だった歌曲を、しばしば好んで聴くようになりました。

妻を亡くし、会話をすることが激減したせいでしょうか。

人声が無性に心地良く感じられるようになってきました。

この日は、バーバラ・ボニーの歌うR.シュトラウス歌曲集(「4つの最後の歌」:M.マルチヌー(ピアノ))をCDプレイヤーのトレイに載せました…。


その中で、飛び抜けて心惹かれたのが、“Morgen!(明日!)”と題されたop.27の第4曲。

ピアノの長い、しかし繊細を極めた前奏に導かれて開始されるレシタティーヴォ風の語り口は、

清純無垢な少女が異性を愛する喜びと希望を語るような、一点の陰りも感じられない無邪気で初々しいもの。

これまで、オーケストラ版も含め、何人かの歌手で聴いているはずなのに、さっぱり記憶に残っていないこの歌曲。

恥ずかしながら、甘美な感動に年甲斐もなく胸をときめかせながら、ほれぼれと聴き終えました。


念のために詩の内容を知ろうと調べたところ、19世紀末の詩人ジョン・ヘンリー・マッケイ(スコットランド生まれ)による原詩と訳(稚拙ですが)は、以下の通りです。

Und Morgen wird die Sonne wieder scheinen(そして明日、太陽は再び輝くでしょう)
und auf dem Wege、den ich gehen werde、(そして私の行く路を照らし)
wird uns、die Glücklichen、sie wieder einen (私たちを幸せに導いてくれるでしょう)
inmitten dieser sonnnenatmenden Erde…(光り輝く地球のこの場所へ…)

Und den Strand、dem weiten wogenblauen、(そして青い波が打ち寄せる広い浜辺に)
werden wir still und langsam niedersteigen、(私たちは静かに、ゆっくりと降りていき)
stumm werden wir uns in die Augen schauen、(黙ってお互いの目を見つめ合い)
und auf uns sinkt des Glückes stummes Schweigen…(そして物言わぬ悦びが、私たちに降り注ぐでしょう…)

訳し終えた時点では、ボニーの歌ったように、無邪気な希望と喜びに溢れたものと、読み取っていました。

そして、この曲の決定版を発見したように思い、リートの愛聴曲が一つ増えたと、喜んでいたのです…。


ところで、他の歌い手たちはどのように表現しているのだろうと興味を抱き、自分が所有するCD盤を聴いてみました…。

女声は3枚のCDがあって、E.シュワルツコップ、J.ノーマン(以上、オーケストラ伴奏)、白井光子(ピアノ伴奏)といった錚々たるメンバーが…。


【シュワルツコップ盤:ロンドン交響楽団/セル指揮】

ボニーの歌唱をレシタティーヴォ風と書きましたが、

シュワルツコップの歌唱を聴いて、「この曲、こんなに豊かな旋律に溢れていたのか」と驚きました。

高貴で、凛としていて、神々しいまでの輝きを感じさせる、

彼女が演じた「薔薇の騎士」の伯爵夫人を髣髴させる名演と感じました!


【白井光子盤:H.ヘル】

ボニーの歌唱とは一線を画し、落ち着き払った中に祈りを思わせる白井さんの表現に、ちょっと驚きました…。

Stumm werden wir…以降は、宗教的な荘厳ささえ感じられます。


【ノーマン盤:ゲヴァントハウス管弦楽団/マズア指揮】

この演奏を聴き始めて間もなく、且つてこの曲を拙ホームページの「最近聴いたCD」欄に掲載したことが、忘却の彼方から蘇ってきました。(記事の内容はこちら)

(初めて聴いた時の印象とは若干異なりますが)ボニーやシュワルツコップ盤とは異なり、慎ましやかな印象を受けるオーケストラの伴奏に続くノーマンの歌唱は、

どんなに艱難辛苦に遭おうとも、肩を寄せ合いながら生きていくことの幸せを表現したような、趣の深いもの!!

3.11大震災から僅か1カ月後に開かれたというコンサートの、TV放映(録画でしたが)での感動が蘇ってきました。


こんな体験をした後、数日を経て、もう一度ボニーの演奏を聴いてみました。

「もしかしたら、浅薄な表現と感じるのではないか」と思って…。

しかし、あらためて「良い演奏だ!」と感じることができました。

あらためて聴き直したシュワルツコップ、白井光子、ノーマンの演奏も、然りでした!


R.シュトラウスが何を表現しようとしたのか、その真意は分かりませんが、

多様な解釈が受け容れられるこの曲の奥深さ、素晴らしさにあらためて感動しました。