CDを初めとして、様々なメディアに遺された氏の演奏は、曲及び演奏者の個性を最大限発揮すべく配慮されたと評価されています。
そのためか、彼の演奏を聴いて、強烈なカリスマ性を感じたことは記憶にありませんが、
1990年にベルリン・フィルの芸術監督に就任する前まで、
即ち1970年代から80年代にかけては、新譜として発売されたディスクの殆ど(オペラを除く)を購入していました。
私にとってのアバド氏は、常に音楽に浸る喜びを感じさせてくれ、聴き終わった後に、静かで穏やかな充足感を与えてくれる、そんな演奏家として存在していました。
氏の演奏を初めて聴いたのは、アルゲリッチと共演したショパンのピアノ協奏曲第1番(1968年盤)。
自由奔放で、多彩なインスピレーションに溢れた彼女のピアノに、
時に優しく寄り添い、
時に丁々発止とせめぎ合う、
そんな当意即妙な伴奏に惹かれたことが、長年にわたって氏の演奏を好んで聴く基盤になったのかと、今になって思います。
その一方で、F.グルダやG.クレーメルといった個性的な名手が、「アバドは融通が利かない」という意味の発言をしていることは、
イタリア生まれでありながら、プッチーニやヴェリズモ・オペラを演奏しなかった例のように、氏なりの芸術観を押し通した故の評価であり、
むしろ称賛すべきことかとも思えます。
2000年に胃癌で倒れた後、氏の演奏に変化が生じたのでしょうか。
一昨年だったかにTVで観た、ルツェルン祝祭管弦楽団とのマーラーの交響曲第9番は、衝撃的でした!
とりわけ、死という永遠の休息へ赴く人への深い慈愛が込められた終楽章のコーダが、次第に消滅の途を辿り、
ついには全ての音が消え去って、静寂が訪れた後も尚、感慨を込めて指揮を続けるアバドの姿に、
死して後の、静謐さに満たされた至福の時の訪れをコンサート会場にもたらすような、鮮烈な印象を受けました。
21世紀になってからの氏の演奏に接する機会が殆どなかっただけに、真偽のほどは定かではありませんが…。
今日はそんなアバド氏を偲んで、私が最も気に入っている演奏、
ウィーンフィルの持つ美質が存分に引き出されたと思える、マーラーの交響曲第3番(1980年盤)を聴きました。
第1楽章での、はちきれんばかりに瑞々しい躍動感!
第3楽章での、アドルフ・ホラーの独奏によるポストホルン響きは、まさに自然のこえそのもの!
第4楽章での、J.ノーマンの豊かで仄暗い色合いを帯びた声と、それに静かに寄り添うG.ヘッツエル奏するヴァイオリンの伸びやかな音色の美しさ!
「ゆったりと、安らぎに満ちて、感動をもって」と記された終楽章での、ウィーンフィルの弦の瑞々しい美しさ!
そして、コーダへ向かっての静謐さの中に漂う充足感と、圧倒的な高揚感!
80年の生涯を音楽一筋に捧げたアバド氏のご冥福を、心からお祈り申し上げます。