放 浪 記 (121)

フェスティバル・ホールのリニューアル・オープン

2013.4.4


江戸時代から諸藩の蔵屋敷が置かれ、その後も大阪のビジネス・文化の中核を担ってきた中之島。

その地が、現代に相応しい中心地にすべく高層化されることになり、従来のビルの一角にあった大阪の音楽ホールの殿堂「フェスティバル・ホール」が取り壊され、

50年にわたる歴史(1958-2008)に、いったん幕を閉じました。

そのホールが、4月10日に高層化されたビルの一角にリニューアル・オープンされるとのこと、今朝の新聞で知りました。


このホールでの想い出は、主に学生時代から20歳代の後半に聴いた、主にオーケストラ曲に集中するのですが、

当時のLPで名を知った様々な指揮者の演奏を体験できたことです。

既に鬼籍に入っているモントゥ、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどの20世紀を代表する懐かしい指揮者たちや、

ブーレーズ、マゼール、ハイティンク、アバド、ムーティなどの現在活躍中の大物指揮者たち…。

衝撃的な演奏も少なからず体験することができました…。


このホールを最後に訪れたのは、ブロムシュテットがゲヴァントハウス管の常任指揮者に就任する前年の来日公演…。

料金もそこそこ高額で、決して悪い席ではなかったはずが、

席に着くと、第1、2ヴァイオリンの背中を俯瞰するような場所で、響きも満足できるものではありませんでした。


今でこそ、招聘元の思惑で席が区分されることを知っていますが、

当時は、ホール側が興行収益を上げるために、席の良し悪しにかかわらず、十把一絡げにして高額な席を多数設定しているのだと思い込みました。

怒り心頭に達した私は、「こんなホール、二度と来るものか!」と、ホールの営業姿勢にいわれのない反感を覚えました!

そして、その演奏会を最後に、フェスティバル・ホールに出向くことは無くなり、

もっぱら同じ大阪市内にある、音響的に優れたシンフォニー・ホールに足を運ぶことになりました…。


その後しばらくしてから、大阪から遠く離れて長野県の片田舎に移住。

爾来11年が経過し、その間、関西の音楽ホールに出向いたことは一度もありません。

今日、フェスティバル・ホールがリニューアル・オープンするとの記事を目にした時、

コンサートに通い慣れて、イージーに音楽を楽しめた壮年期のシンフォニー・ホールでの体験よりも、

若き日、唾を飲み込むことすら憚られるほどに静まりかえったホール内の異様に張りつめた緊迫感に押し潰され、

苦行するようなような思いで、最初の音が響く瞬間をひたすら待ったフェスティバル・ホールでの体験が、

生々しく、懐かしく思いだされてきました!


久しぶりに「フェスティバル・ホール」という懐かしい名称を目にして、

「今度大阪に出向いた際には、新しくなったこのホールの顔を観に行きたい!」

そんな感傷に浸るほどに懐かしく、想い出の深いコンサート・ホールなのです。