多くの知識を持っよりも、多くの作品を受け容れる感受性を磨くことの方が、私にとっては遥かに重要なことだと、常々思っているのですが…。
しかし、凡人の悲しさで、時折知識をひけらかしたい衝動に駆られてしまいます…。
昨日の朝、愛犬の散歩から帰ってくると、BS放送で「N響コンサート」が放映されていました。
「この曲、誰の曲か知らん?テロップを見逃してしまって…」と、妻…。
しばらく聴いていると、何となくウィーン世紀末の作品のような雰囲気が…。
「爛熟した退廃的な美感が漂っているし、何となくシェーンベルクのような…?」とは言ったものの、確たる自信は持てません。
妻は、気に入らない曲の場合、すぐにスイッチをオフにする傾向が強いものですから、
多分、曲の前半部に。心に残る部分があった筈!
曲名までは分からなくっても、せめて作曲者だけでも図星してやろうと、音楽を聴くのではなく、心は「知識をひけらかそう」モードに切り替わりました…。
しかし、聴き進むうちに、ウィーン世紀末以前の後期ロマン派のような、耳に馴染み易い旋律が登場し、頭の中では、後期ロマン派で、該当する作曲家を懸命に模索…。
しばらくすると、緩やかなこの曲が終わって、テロップには「第4楽章」の文字が…。
「これ、交響曲だったんだ!」と、検索の隊商が絞りこまれてきました、
その第4楽章は、前曲の雰囲気が一転して、アイロニーを感じる行進曲風の音楽が…。
「プロコフィエフみたいやね!」と。妻…。
そう言われて、私の頭の中は、プロコフィエフの7つある交響曲を懸命に思い出そうとするのですが……??
曲は、戦闘的な様相を呈してきます。
「これは、プロコフィエフと違うて、ショスタコーヴィチみたいやけど、彼の15曲の交響曲に該当するのは、思い当たらんなぁ?…」
「プロコフィエフとは、音が違うね!」
「色んな作曲家をごちゃまぜにしたような…。さて、誰やろなぁ?」
取るに足らない、くだらないことだとは思いつつも、
こうなると、妻に「さすが!」と思わせてやろうとの見栄が働いて、何とか作曲者だけは言い当てようと、私も真剣に!
今度は曲の長さから、何とか曲名を推測しようと、虚しい試みを始めます…。
「そう言えば、長いね。そろそろ1時間近くになるかな」と、妻も協力を惜しみません??
結局、思いついたのが、ハンス・ロットの『交響曲ホ長調』…。
この曲、我家にディスクはあるのですが、一度聴いたきりで、
それも第1楽章途中から白河夜船で、目が覚めた時には曲は終わっていたという、知らないも同然の曲なのですが……。
フィナーレには、カリオンが鳴り響いて、さながらマーラーの『復活』や『千人の交響曲』のような荘厳さが…。
そして、待望の作曲者名・曲名がテロップに…!
カセルラ作曲・交響曲第2番(日本初演)!
聞いたこともない名前でした。
やれやれ、どうしてもっと素直に、音楽を楽しめないのでしょうね!