放 浪 記 (82)

不 死 鳥 の 如 く

2011.12.26 


前回の放浪記で書きましたように、電波状態不良地域としてNHKから引導を渡されていたデジタル地上波が、念願かなって何とか受信できるようになりました。

そのお蔭で、BS2での放送を取止めたために見ることが出来なくなった全国高校駅伝を、久しぶりに観戦することが出来たのですが…。

私は、高校・大学時代を通じて陸上競技部に所属し、

短距離を専門にして記録向上のためにひたすら練習に打ち込む生活を送ってきましたので、

とりわけ走力を競う競技には、距離の如何を問わず、大きな関心を持っています。

中でも駅伝をTV観戦する楽しみは、

一人の選手が力を出し切れなければ、後を走る選手は、それを補うためにオーバーペースで突っ込むために、

それがたたって逆にタイムを悪くして、ますます泥沼にはまり込むという過酷さがあります。

その辺の戦略を楽しみに、興味津々観戦しています。

中でも優勝候補と言われ、大きな期待を背負ったチームの一走者として、アクシデントに見舞われた選手の気持はどんなのだろうと、ものすごく気になります。

今回の駅伝でも、そんなシーンが見られましたね…。


ところで、私の出身高校の陸上部の後輩で、ただ一人だけ箱根駅伝に出場した選手がいます。

年齢が30歳近く離れていますので、勿論面識はないのですが…。

唯、彼の実家が、たまたま私の高校時代の陸上部の同僚で、今も夫婦でお付き合いをしている親友のマンションのすぐ下にあることを、箱根初出場後に知って、

彼の活躍ぶりに、一層関心を抱くようになりました。


高校時代の彼は、大阪府の長距離界ではトップアスリートとして知られており、

その頃から箱根駅伝で活躍するエンジ色のユニフォームに憧れていたそうですが…、

しかし大阪府トップクラス程度の実力では、憧れの大学からは見向きもされず、一般入試で大学に合格し、競走部の門を叩いたそうです。

全国的に名の知られたアスリートが多数いる中から頭角を現わし、2年生の時に箱根にデビュー。

それまで、彼の存在すら知らなかった私でしたが、

TVのテロップで、名前と出身校である我が母校名が出て驚き、

アナウンサーが、「一般入試で入学した選手が、伝統あるエンジのユニフォームを着て箱根駅伝を走っている」と、彼を紹介した時には、

とても他人事とは思えず、物凄くハイテンションになったことを覚えています。


しかし、彼が全国の群雄が割拠する箱根駅伝の中で注目されたのは、デビュー翌年だったか、最終学年だったか…。

彼が後続の選手に抜き去られることによって、エンジのユニフォームが、箱根駅伝史上初めてシード権を失う、という現実に直面したのです。

TVでは、アナウンサーが絶叫しながら何度もそのことを繰り返し、

翌日の全国紙には、追い抜かれる瞬間の写真が、大きな見出しとともに掲載されていたように記憶しています………。

正直なところ、全く面識のない彼の精神的な立ち直りに、一抹の不安を抱いたものでした。


それから何年後だったでしょうか…

そんな運命を辿った彼の名前を再び目にしたのは、同じ全国紙のスポーツ欄でした!

或る署名記事の筆者として、聞いたことのある名前を発見して、

「もしや」と思ってOB会の名簿を調べ、あの彼に間違いがないことを確認しました。

彼は、この全国紙のスポーツ担当記者として、活躍していたのです!


その後も、彼の署名記事を度々目にしていましたが、

今年の陸上の世界選手権前には、100、200m世界記録保持者のウサイン・ボルトを中心ッとして躍進するジャマイカ短距離陣の秘密を取材した署名記事が、

彼の名前とともに、何回かにわたって連載されていました。


今回実力を発揮できなかった、若きアスリート諸君!

人生は、まだまだこれからですよ!