放 浪 記 (54)

視覚的な効果

2010.2.25 


昨日は、女子フィギュアのショートプログラムの演技を、食い入るようにTV観戦していましたが、

多くの方と同じように、キム・ヨナ選手と浅田真央選手の5点弱の差は、私には実感できませんでした。

ただ、観た人のほとんどは、どちらの技術・演技とも素晴らしいと思い、感動されていたようです!

これほどレベルが高くって、大きなミスの殆どない技術や演技に順位をつけることは、

音楽でいえば、多くの聴衆を感動させた演奏同士を比較して、どちらがより素晴らしかったかを喧々諤々するようなもので、殆ど無意味に近いことだと私は思います。

でもここまで戦ったのですから、両者ともフリーでも大きなミスを犯すことなく、存分の力を発揮して欲しいものです。

その結果、どちらが勝つにせよ、メディアは「金だ!銀だ!」などと意味のないことに騒がず、大人の対応をしてほしいものですね!


ところで私、曲がフィギュアで使われることによって、その良さを認識したケースが少なからずあるのです。

4年前のトゥーランドットもそうでした。はっきり言って、「あんな陳腐な筋書きの歌劇なんて…」との思いから、かの有名な「誰も寝てはならぬ」さえ碌に聴きもしなかったのですが、

荒川さんが優勝した演技を観ていて、ついでに「こんないい曲だったの?」といった按配…。

さらに遡れば、1984年のサラエボ大会のペア!あのボレロは絶品でした。

曲の持つ官能的な側面が明確に表出されたAの振り付けや演技に、可否はともかくとして素晴らしい感動を受けました。

極上の振り付けや演技がもたらしてくれる視覚的な効果というものは凄いなと、素直に思います。


ところで、浅田真央選手のショートプログラムの演技曲、ハチャトリアンの『仮面舞踏会』!

彼女の演技を通して初めて聴いた曲でしたが、いかにもロシアンワルツといった趣で、なぜか懐かしさを感じるのです。

シュトラウスファミリーのウィンナワルツが、王侯貴族が社交場で栄華を誇りつつ踊る、虚飾に彩られた側面を持つ音楽とすれば、

この曲を始めとするロシアの作曲家(チャイコフスキーを除く)によるワルツは、

一般大衆が場末の酒場で人生の悲哀を感じながら、浮世の憂さを晴らすために踊る、そんな極めて人間的な音楽と感じるのです。

ハチャトリアンの作品というと、私より上の年代にとってはバレー音楽『ガイーヌ』の中の「剣の舞」を聴くくらい…。

真央さんのおかげで、ここしばらくはハチャトリアンの曲を聴くことになりそうです!