放 浪 記 (45)

年に一度の第九

2009.12.8 


ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』を始めて聴いたのは、トスカニーニ/NBC交響楽団のLPでした。

第1楽章冒頭部の尋常ならざる張りつめた緊張感に、これからどんな音楽が展開されるのか、胸をときめかせながら、スピーカーの前で聴き入ったことを思い出します。


しかしそれから数年後、1951年にライヴ録音されたフルトヴェングラー/バイロイト祝祭盤を聴いた時には、

冒頭の混沌とした神秘的な雰囲気や、随所で聴けるうねりのような感興の高まりに興奮し、

トスカニーニの演奏はすっかり色褪せてしまいました。

高校二年生だった私は、この演奏スタイルにすっかり心酔し、30歳の半ばに至るまで、

ベートーヴェンの交響曲に関しては、フルトヴェングラーの演奏以外全て内容が希薄に感じられたものでした。


様々なベートーヴェン演奏を受け容れられるようになったのは、

ディスクがLPからCDへと移行して、我家のそれまでのシステムでは音が出せなくなったことを機会に、本格的なスピーカーやアンプを使用するようになって、

それまでの緩急強弱の表現に加えて、

曲の繊細さが享受できるようになってからだと思います。

バブル期が始まったばかりの、1980年代の半ば過ぎの出来事でした。


それを機会にさまざまなCDを買ってこの曲を聴きましたが、

それ以前からもコンサートホールやTV・FMでも馴染んできていた経緯もあって、

段々とマンネリズムに陥ってきたために、

そのことを機会に第9の新譜を買うこともなくなった最近は、日本の風習にしたがって、年末に限って必ず一度だけこの曲を聴くようにしています!

ただし、毎年聴くディスクは異なるようにしていますが、

しばらくぶりに聴くことによって、新たな感動が得られることを、これまでに何度も体験しているからです…。


今年はジュリーニ指揮するロンドン交響楽団の演奏を聴きました…。

ティンパニの鋭い打ち込みは印象に残りましたが、劇的な表現や祝典的な雰囲気とは一線を画した第9です。

ことに第3,4楽章は、厳かさに重きが置かれた演奏と感じられますが、とりわけて印象的だったのは、終楽章の後半部の二重フーガ。

“Freude, schoner Gotterfunken”と“Seid umschlungen, Millionen! ”が、テンポを落として堂々と確信的に歌われることによって、

フィナーレのプレステッシモが、天上に舞いあがるような高揚感に満ちた音楽と化したと思えます。


ジュリーニの演奏を聴くと、いつも「なるほど!」と感銘を受けるものの、身震いするような感動を受けた記憶はありません。

そういった意味では、第9の一般概念からすると物足りなさを感じる方も多いと思いますが、

こんな大らか且つ厳かな第9も、また素晴らしいものだと思うのです…。