放 浪 記 (25)

これ、音楽ですか?

2009.7.18 


チャールズ・アイヴス(1874〜1954)という作曲家をご存知でしょうか。

アメリカ20世紀音楽のパイオニアと呼ばれる人物ですが、自らの理想とする音楽を追求しては生計が成り立たないと考え(「不協和音のために飢えるのは、まっぴらだ!」との名言を残す)、

実業家として多大な成功をおさめ、趣味で作曲を続けたという、尊敬すべき経歴の持ち主です。

彼の作品を初めて聴いたのは、故黛敏郎さんが司会をしておられた当時の、“題名のない音楽会”。

曲の内容をどのように解説されていたかは、全く記憶にないのですが、

「皆さまは、どうお感じになるのでしょうか?」という謎めいた問いかけ、それは今思えば聴衆への挑戦状のようなものだったのかもしれませんが、

その言葉を合図に、どう聴いても不協和音が入り混じったとしか思えない、騒音のような音楽が開始されたのでした。

マーティングバンドの鳴り響く雑踏の中、半鐘を打ち鳴らしながら悠然と行進する、『メインストリートでの消防士のパレード』

ジャズピアノやクラリネットが鳴り響くキャバレーの喧噪や、サーカスのジンタなど、都会の喧騒が近づいてきて再び遠ざかっていくような、『宵闇のセントラルパーク』

複雑なポリフォニーを有するため、一人の指揮者では指示が行き届かず、副指揮者を置いて演奏される、『交響曲第4番』の終楽章等々…

番組でこれらの曲を聴くたびに、「これ、本当に音楽?ただの騒音じゃないの」と疑問に思ったものでした。

端からアイヴスのCDを聴こうとは思いもしませんでしたが、黛さんのその時の口調だけは、いつまでも記憶に残っていました。

ところが、氏が亡くなられた直後、店頭でアイヴスの小品を集めたディスクを目にして、ふと感傷に襲われて衝動買いしたことがきっかけになって、いつの間にやら、私の好きな作曲家の仲間入りをすることになりました。

作曲技法等の難しいことは分かりませんが、私にとってのアイヴス作品の最大の魅力は、

当初は騒音としか感じられなかった雑然とした響きの中に、様々な思い出が詰まっているように感じられるからです。

一番分かり易い例を挙げれば、祭りの雑踏でしょう。

この中には、幼い頃に出会った、夜店や大道芸などの、非日常的なわくわくどきどきするような光景がいっぱいに散りばめられているからこそ、

雑踏の中から聞こえる祭囃子に、そこはかとない郷愁を感じるのでしょう。

アイヴスの作品でも、例えば『宵闇のセントラルパーク』を聴くと、どこか祭囃子に相通じるような郷愁が感じられるのです。

曲の最初から最後まで一貫して弱音で流れ続ける、静寂を表現するような弦楽器だけで奏されるフレーズ。それは孤独な心境と、相通じるもののようです。

そんな静寂の中で聞こえる、セントラルパークに近い歓楽街から聞こえてくる都会の雑踏に、言い知れぬ懐かしさが感じられるのです。

アイヴスの作品には、フォスターの曲など、我々の年代にとっては懐かしい曲も登場します。

啄木の句よろしく、“人ごみの中に そを聞きに行く”ようなつもりで、お聴きになればと思います。