放 浪 記 (15)

ピリスの試み

2009.5(3) 


先日、ボランティアスタッフとしてコンサートのお手伝いをしている大賀ホールで、マリオ・ジョアン・ピリスのコンサートが開催されました。

オールベートーヴェンプロで、演奏順にチェロソナタ第2番、創作主題による32の変奏曲、休憩を挟んで、ピアノソナタ第17番『テンペスト』、チェロソナタ第3番なのですが…。

ピリスの希望で、前半と後半をそれぞれ1つのプログラムと見做し、曲間での拍手は禁止。

さらに後半の冒頭、テンペスト及びチェロソナタ第3番終了後に、各々演奏時間が5、10、1分程度の尺八のソロによる(多分日本古来のもの)演奏が加わりました。

当日のプログラムに挟まれたチラシには、ピリスの言葉で

“(略)…現実を超える宗教的、精神的世界を表現する尺八の音色は、ベートーヴェンの内面的精神性と深くつながっていると考えます。この二つの世界(尺八とベートーヴェンの曲それぞれがおりなす世界)を同時に経験し、洋の東西を問わず共通する深い精神性を皆様と共有したく…(略)”

と、その意図が説明されていました。

随分と興味をそそられたのですが、当日の私の役割は、楽屋口のガードマン兼来訪者の取り次ぎ役で、職務を放棄することはできません。

ですから、コンサートの雰囲気をつかむために、天井のスピーカーから流れる演奏に聴き耳を立てていましたが、如何せん未知の体験で、想像では補いきれない部分も多く、

残念ながら、ピリスの意図した音楽や、会場の反応を聴きとることはできません。

ただ、そんな環境の中、スピーカーから流れてくる演奏を聴いた範囲では、後半冒頭の尺八演奏が厳かに奏でられた後、一呼吸おいてすぐに、ラルゴで意味ありげに開始されるテンペストの序奏部を聴くと、案外共通するものがあるのかなぁとも感じました。

しかしそんな期待も束の間のことで、第1主題を迎えるために、テンポがアレグロに変わった途端に、それまでの雰囲気が一変、期待感が違和感に…。

この場面、場外のスピーカーから聴きとった範囲では、ベートーヴェンの音楽が、先行して演奏された尺八に負けているように感じられました……

……愉悦感に溢れたチェロソナタの第3番終楽章が終わった後、最後に尺八が1分ほどの短い曲を演奏して、コンサートは終了。

私の印象では、チェロソナタの終楽章がもたらした愉悦感はぶち壊しになったように思えました。

保守的なのかも知れませんが、これは作曲家に対する冒涜ではないかと思ったものです。

後日、ホールのスタッフから聞いたアンケート結果によると、ピリスに賛意を表する人の方が多かったそうですが、その一方で、「折角ベートーヴェンの音楽を聴きに来たのに、雰囲気がぶち壊された」という苦情も、少なからず寄せられていたそうです。

ただ、ピアニストとしてのピリスの力量は素晴らしいもので、32の変奏曲もテンペストも、素晴らしい演奏だったと思います。

このホールには、ミケランジェリがコンサートをキャンセルした際に、再来日の担保として日本に残していったと言われる、スタインウェイのコンサートグランドが設置されているのですが、私が聞いた範囲では、初めてこのピアノの本領が発揮されるような演奏に出遭えたと思いました。