放 浪 記(4)

-静寂は最高級のオーディオ-

2003.5 


軽井沢に居を移して1シーズンが過ぎました。

当地の自然の恵みや厳しさを一通りは体験したつもりですが、その中でも飛び抜けて印象的なのは、周りの静けさです。

我が家は四方を落葉松林に囲まれた別荘地内に在り、幹線道路から離れている事に加え、夏期シーズン中も、行き交うのは別荘関係者の車のみ。

毎日が雪の降り積もった早朝の様にシーン≠ニいう静けさに支配されています。

この地の静けさがヒトの創造力を刺激するのでしょうか。

加えて、長野新幹線の開通で、東京まで1時間強という利便性が増した為、最近は様々なアーティストや作家が、別荘としてではなく、終の住処として定住されているようで、その数も、年々増えているそうです。

私のご近所にも、プロのギターリスト夫妻や作曲家がお住まいになっています。

創造とはおおよそ縁の無い生活を送っている私ですが、このとびっきりの静寂の中で聴く音楽は、喪失しかけていた想像力を逞しくしてくれる様に感じます。

これまでの生活空間では、例え深夜でも、バックグランドには聴覚上気になるノイズが存在していましたが、此処では殆ど気になりません。

そんな環境の違いのために、以前と同じオーディオ機器で耳馴染んだディスクを聴くと、臨場感が俄然際立って伝わってきます。

具体的に言うと、今までノイズにマスクされて聴き取ることが出来なかった弱音が、気配を伴って聴き取れるのです

機械には弱いので詳しくは分かりませんが、CDではこの気配感が欠落していると言う理由で、新たにスーパーCDが開発され、それを再生する為のプレーヤーも新しく発売されています。

高級オーディオの世界では、静寂さを得る為の様々な工夫が凝らされ、その開発費用が100万円単位でオン・コスト化されるとか聞いています。

でも、私は従来と全く同じ装置で音楽を聴きながら、2〜3ランク上級な機器を入手したような満足感に浸っています。

これまで馴染んできたはずのCDから、従来の環境では充分には聴き取れなかった演奏家のメッセージに触れる喜びを味わっています。

武満徹が作曲したノヴェンバー・ステップス≠ニいう作品があります。

この曲は、大阪の家に居た頃には、曲の静寂な部分、特に琵琶や尺八の独白部分では、どういう訳かいらいら感がつのり、不快な印象を持っていた曲でした。

先日小沢征爾指揮のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏で久しぶりに聴いてみました。

独奏楽器の琵琶と尺八は、それぞれに物静かで、時に情熱のほとばしりが感じられるような独白を展開。

それに絡まるように演奏されるオーケストラの伴奏は、久遠からの呼びかけとも大気の揺れとも形容できそうな響き…。

今までの印象から一転して、儚さを感じさせる、如何にも日本的な大変に美しい曲だと思いました。

完璧な静寂をバックにして、初めて曲の良さが理解できる作品がまだまだ存在する様な気がして、楽しみです。