【放 浪 記 3】

レコードと団塊の世代

2003.8 


 

暦の上では今日は立秋。漸く発表された梅雨明け宣言以降も、相変わらずジメジメした鬱陶しい日々が続いています。

これまでは気温が低かったために比較的凌ぎ易かったのですが、ここ数日は日中の温度が30℃近く迄上がるため、軽井沢の気候に慣れた私には都会並の不快さ。

この原稿を書き始めた早朝4時30分でも、机の上はジトッ…としています。

 この暑さの中、先日友人が家族連れで立ち寄ってくれました。

到着時には「軽井沢も結構暑いんやなぁ」とブツブツ言ってましたが、風呂上がりに庭に出て涼風に触れると、「さすが軽井沢!」とすっかりご満悦。

キンキンに冷えた発泡酒を飲みながら、そのまま眠りこけてしまいました。

50歳代半ばのサラリーマン、根が真面目な男だけに気苦労が絶えないのでしょう。鼾の大きさも気になります…。

   我々の年代の家庭では、亭主が疲れている分、奥さんはとにかく元気です。大学生の娘さんとの話の間に妻も加わり、お互いの亭主の悪口を肴に、延々と喋り続けています。

 突然その娘さんから「レコードを聴かせて下さい」との申し出。

クラシック好きの友人が「再生音楽はレコードでなきゃ!」と言うので、どういう風に音が違うのか、一度聴いてみたかったとの由。

共通して所有しているディスクを、比較して聴きました。

   「エェー!レコードって裏にも録音されているのですか」。

片面が終わって裏返し、針を降ろして再び曲が開始された時の彼女の叫び声に、カルチャーショックで開いた口が塞がりませんでした。

一瞬の間を置いて、全員が大爆笑!

友人もその笑い声で漸くお目覚めです。

 我が家のプレーヤーで聴いた範囲では、彼女にはCDの方がお気に召した様子。

CDも大幅に音が進化しているようです。彼女が今後LPを聴く機会は多分無いでしよう。

昭和と共に歩んだレコード文化は、一時期復活の兆しを見せましたが、一部マニアを除いては、過去の遺物と化してゆく運命にあるようです。

 昭和から平成に移行したのが、我々が丁度40歳の頃でした。

心身共に充実した働き盛りの昭和期には報いられるポストは無く、平成になってから漸く手にした中間管理職の地位も、この不況の折、上下からの締め付けが厳しく、彼も疲れ切っている様子。

LPを初めて聴いた娘さんの反応から、つい団塊の世代の宿命を考え込んでしまいました。

 「夕べは早々に眠り込んでしまって申し訳なかった」。翌朝、友人は頻りに恐縮しています。

「でも、クーラー無しで、久しぶりにぐっすりと眠れた。こんな清々しい朝を迎えたのは何十年振りだろう」。

そう言ってくれる彼の健康が心配で、「残り5年!もうこれ以上無理をするなよ」と思わず言ってしまいました。

「毎年、ここに来させて下さいね!」奥さんや娘さんの弾んだ声が、彼の支えになるのでしょう。