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ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第1番  

F.コンビチュニー指揮  ライプチィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


ベートーヴェンの書いた唯一の歌劇「フィデリオ」は、

フロレスタンの妻レオノーレが、冤罪で投獄されている夫を救うために、男装してフィデリオと名乗り、

看守として牢獄にもぐりこんで所長の悪事を暴き、夫を救出するという、

如何にもベートーヴェン好みの、献身的で意志の強い女性像を描いた作品。


この歌劇は、1805年11月に「レオノーレ」の名で初演されましたが、大失敗!

急遽大改訂を施して、翌年4月に再演されましたが、これもまた不評に終わります。

しかし8年後、再び改訂を施し、「フィデリオ」の名で再演し、ようやく成功をおさめたと言われています。


再演のたびに序曲も書き換えられ、初演時には現在の第2番が、

翌年の再演時には第3番が、

8年後に「フィデリオ」として再登場した時には、現在の「フィデリオ」序曲が使われたそうです。


今日エントリーする「レオノーレ」序曲第1番は、音楽評論家の故門馬直美氏のライナー・ノートによると、

1805年の初演時には、すでに書かれていたと言われ、

又一説によると、1807年に予定されながら実現しなかった、プラハ公演のために書かれたとも言われていますが、

いずれにしても、発見されたのはベートーヴェンの死後だったとか。

現在の「フィデリオ」序曲と、内容が大きく異なることはもちろん、

「レオノーレ」序曲第2、3番とも又違った趣を有した作品。

今日、コンビチュニー/ゲヴァントハウス管の演奏を初めて聴いて、

「第1番が、この歌劇の序曲として最もふさわしいのではないか」と心に響きましたので、今年最後の曲としてエントリーした次第です。


Andante con motoの序奏部と、Allegro con brioの主部から構成されるこの作品。

弦の悲劇的な響きで冒頭部が開始されますが、

スすぐに貞淑で一途な女性像を髣髴する、心をほっと安らげてくれるような演奏に出会い、

これまで抱いていた「レオノーレ」のイメージ、特に序曲第2、3番から受ける雄渾壮大で、過剰に劇的なイメージが覆され、

貞淑で健気な女性を主人公にした作品だということを、改めて実感することができました…。

そして、悲劇的な運命へと巻き込まれていくような、緊迫感を湛えて序奏部が終わります。


主部に入ると、活気に満ちて、勇ましくも崇高で気高い旋律が奏でられ、曲は進行していきます。

途中、冤罪で投獄されてペシミスティックに陥ったフロレスタンの心境を歌った旋律が登場しますが、

コーダ部のクレッシェンドでは、ベートーヴェンがロッシーニ・クレッシェンドを真似たのかと思わせる、軽快さ!


しかし、ロッシーニは1792年の生誕ですから、仮に1805年にベートーヴェンがこの序曲が書いたとすれば、ロッシーニは当時13歳の少年…。

いくら天才といえども、この楽聖に影響を与えたと考えることには、無理があるでしょう!

とすれば、かの有名なロッシーニ・クレッシェンドの元祖は、ベートーヴェンのこの序曲に有ったのか、とも…。

生前には未発表ですから、そんなことありえないのでしょうが。

正月の準備に慌ただしくしている妻を尻目に、自分勝手な妄想に心躍らせていました。

それはともかくとしても、「レオノーレ」序曲第3番があまりに偉大なために、ともすれば見捨てられがちなこの作品ですが、

なかなか味わいの深い佳作であることを実感した次第です!

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