彼から、ロシア・バレー団を率いるディアギレフのために、旧約聖書創世記39章、エジプトのヨセフのエピソードを基にしたバレー音楽を書くように説得されますが、
R.シュトラウスにとっては、聖書に描かれたヨセフという人物からは音楽的インスピレーションが得られず、
結局ヨセフが奴隷として働いているポティファル家の妻が彼を誘惑するという、官能的な場面を中心に据えた台本のもとに曲が完成。
ということは、聖書に描かれた物語とは、内容は大きく乖離していると思われます、多分…。
このバレー音楽、近年評価される兆しが見え始めているそうですが、
全曲盤、そこから抜粋された交響的断章盤共に、発売されているディスクもまだまだ少なく、
私も、内容を知らないままに、ケンペ/SKDによる交響的断章盤の方を聴いたのですが…。
演奏時間が約25分の短縮版からは、
慈愛、崇高さ、神々しさ、葬送を思わせる悲痛さ、天真爛漫な無邪気さなどを聴き取りつつ、
漠然と道徳的な聖書の物語を思い描いていたのですが、
後で、官能的な場面を中心に据えた作品だったと知って、
「一体自分は何を聴いていたのか」と、自己嫌悪に陥りました…。
ただ、言い訳をさせていただくならば、
R.シュトラウスの作品においては、慈愛・崇高さ・神々しさといった表現と、官能的な表現とは、
どちらも恍惚としたナルシシズムに陥るというような印象を受けるために、
このように近似した表現が聴き取れるのかとも、私は思うのですが…。
これが、例えばシノポリの全曲盤ですと、R.シュトラウスの意図した、サロメの「7つのヴェールの踊り」のような、官能的な音楽を聴き取っていたかもしれませんが…。
交響的断章版は、バレー全曲版をどのように並べ替えられているのかは知りませんが、
こちらはこちらなりに、聴き応えのある、想像を刺激してくれる曲の構成であり、ケンペ/SKDの演奏だと思います。