多分に、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」や、ショパンの「24の前奏曲」を意識したものと言えそうです…。
ただ、バッハやショパンの作品は、異なった24の調によって構成されていますが、
ドビュッシーの「前奏曲」は、24の調を割り振ったものではなく、
様々な作曲語法の試みがなされた作品集と言えるもの。
尚、手稿譜には、標題は曲ごとの最後のページの片隅に記されているとか。
冒頭に書かれていないということは、あくまでも曲を理解する上での参考程度に記されたもので、
描写音楽と見做され、演奏に際して、ピアニストのインスピレーションが阻害されることを避けたかったため、と考えられています。
私の場合、この「前奏曲集」、
特に第2巻は、曲と標題名とが結びつくほどに親しんでいないものですから、
知らないままに演奏を聴くことによって、何を表現しているのかに想像を巡らせ、
曲が終わった時点で曲名を確認する…。
そうすることによって、(比べること自体、大作曲家や演奏家に失礼と思いつつも)感性の差が明確になるために、曲への理解が深まるように思えるのです…。
そんな風な聴き方で、この名曲を愉しんでいます。
【前奏曲第2巻】
1.霧
2.枯葉
3.ラ・プエルタ・デル・ピノ(葡萄酒の門)
4.妖精たちは得も言われぬ語り手
5.ヒースの荒れ地
6.ラヴィヌ将軍(喜劇役者の踊り)
7.月光の下、謁見のバルコニー
8.オンディーヌ
9.ピクウイック氏讃
10.カノープ(エジプトの土器)
11.交互3度
12.花火
エントリーする演奏は、ミケランジェリが1988年に録音したもの。
今回、ベロフが1970年に録音した演奏と聴き較べたのですが、
ベロフ盤のパステル画のような淡く繊細な趣に対し、
ミケランジェリ盤は、華やかな油彩画のような印象!
私のこれまでの好みから言うと、ベロフ盤なのですが、
今回、敢えてミケランジェリ盤を選んだ理由は、
第12曲「花火」に、格別に感動したからです。
ねずみ花火のようなトリッキーな動き、
眩いばかりにめくるめく、打ち上げ花火のような華麗な色彩の変化、
儚く消えゆきつつ、最後に渾身の輝きを放つ線香花火のような儚さ…
鮮やかなまでのこれらの表現に、ヒトの波乱万丈の生涯を髣髴し、深い感動を覚えました!
他に印象的だった演奏を挙げると、
第1曲の、湧き上がる霧の中、一瞬光が射し込むような鋭い打鍵…
第3曲の、鈍色に光る和音と、地を這うように重々しいハバネラのリズムが醸す、不思議な世界…
第10曲の、アルカイックな様式に漂う、得体のしれない実在感…
繰り返し聴くほどに、味わいの深まる演奏だと感じました。