それ以降、この分野に力を入れることはありませんでした。
その理由については、様々な憶測がなされていますが、
既に完成した楽器であるヴァイオリンの作品よりも、
改良が重ねられて、発展途上にあったピアノの為の作品を書くことに意欲を燃やしたという説が、最も説得力が強いように思えます…。
短期間に集中して書かれたヴァイオリン協奏曲ですが、
第1、2番(K.207、208)と、3カ月後に着手された第3番(K.216)とを比較すると、
アインシュタインが「モーツァルト創造の奇蹟」と評したほどに、
天啓にうたれたかのように、短期間で大きな飛躍を遂げたと評されています。
しかしモーツァルト史を観ると、この3ヶ月の間に、彼の周囲には何らドラスティックな変化は生じていません。
「天才のみが得うる閃き!」と、いうことなのでしょうか?
当たり前のように聴き馴染んでいる第1楽章冒頭部ですが、
第1、2番のそれとを比較すると、何と生気を帯び、活力が漲っていることでしょう!
聴き較べてみると、確かに大きく飛躍したモーツァルトの音楽が展開されていることに気付くのです。
エントリーするのは、O.デュメイの弾き振りによる、カメラータ・ザルツブルグの演奏。
デュメイの解釈は、細やかで、時に蠱惑的な詩的情感を漂わせたもので、
オーケストラとの気持が相呼応する瞬間が随所に感じられる、なかなかの名演奏だと思います。
【第1楽章:Allegro】
オーケストラの幸福感に溢れた充実した響きと、心地良い揺らぎが感じられる演奏。
デュメイの繊細な表現、そして展開部での短調への翳りが、寛いだ夕べの訪れを思わせるように、詩的な情感を醸します!
【第2楽章:Adagio】
オーケストラが密やかで上品な主題を提示し、
それを受け継いで歌われる、幸せに打震えるようなソロ・ヴァイオリンの密やかな音色。
木管との対話も、大変に美しいものです!
【第3楽章:Rondoau;Allegro】
シンプルで馴染み易い舞曲風の主題と、それに続く独奏主題は、細やかに刻々と変化する表情の多彩さ!
しかし、突然テンポがアンダンテに変化、ソロ・ヴァイオリンがやや憂いを帯びた旋律を奏します。
その僅か後に、民謡風の懐かしさを覚える旋律が登場…。
この奇想天外とも思える2か所の曲想の変化、聴衆へのサービス精神の表れなのでしょうか。
ヴァイオリン協奏曲第5番や、そののちに書かれたピアノ協奏曲第9番にも、そんな瞬間ありましたね!
「ニタッ…」とほくそ笑む、モーツァルトの顔が垣間見れるようで、私は結構好きなのです!