1837年3月、28歳のメンデルスゾーンは、一族の許しを得ることなく、改革派教会の牧師の娘と結婚。
式には、親族はもとより、母や姉ファニーも出席しませんでした。
この作品はそんな境遇での新婚旅行中に作曲に取り掛かかったもの。
テキストとなった詩篇第42番の内容は、「遠く異郷の地に追放され、憂き目をみている人が、自らの潔白を神に訴えた詩」と解釈されているようです。
少年時代から古代ユダヤ民族の苦難と希望を歌った旧約聖書の詩篇に強い関心を抱いていたメンデルスゾーンは、
認められない結婚に踏み切った自らの境遇を、第42番の作者のそれに置き換えたのでしょうか。
それでも、その年のうちに二人の結婚は認められ、家族は和解し、
作曲家でもあったメンデルスゾーンの姉ファニーは、新妻のために、新作を贈っています。
そんな心の安寧が、大変に爽やかで、かつ厳さの中にも輝かしさに満ちた作品を生み出したのでしょう…。
作曲者自身が、とりわけ愛着を抱いていたと、言われています。
「水を求めて谷を歩くさすらう鹿のごとく、神よ!わが魂は汝を求めています」と歌われる第1曲は、
詩の深刻な内容からは、やや乖離しているようにも思えるのですが、
当時の幸福な気持ちがそのままに表現されたような、
さながら、初秋の朝の冷涼な大気に触れるような、爽やかな音楽!
メンデルスゾーンならではの、一幅の風景画を思わせます。
「私の魂は神を、生ける神を渇望しています…」で始まる、第2曲から第4曲のソプラノのアリア&レシタティーボは、
メンデルスゾーンの家族、とりわけ義母や義姉の許しを請う、新妻の切ない思いが伝わってくるようです。
第5曲以降では、希望を湛えた晴朗な心境が厳かに、そして高らかに歌われていきます。
詩篇に基づいた、ロマンチックな佳作!
暑さがぶり返しつつある昨日・今日ですが、
一陣の爽やかさを吹き込んでくれる作品として、心地良く聴けた演奏でした。