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ダリウス・ミヨー:交響曲第2番

ミッシェル・プラッソン指揮  トゥルーズ・キャピトル管


1944年、ボストン交響楽団の常任指揮者クーセヴィツキーの亡き妻への追悼コンサートのために委嘱された作品…。

初演は、作曲者自身の指揮によって行われました。


【第1楽章:穏やかに】

微かな大気のそよぎや、

地面から立ち昇る土や草の香りに包まれた穏やかな田園の情景を髣髴するこの音楽は、

私の幼い日々の懐かしい心象風景でもあります。


【第2楽章:神秘的に】

祭の雑踏のようにも聴き取れるこの多調音楽は、

混然とした中に個々の人々が内包する多様な夢や希望がファンタジックに髣髴できる、

そんな味わいを有する音楽です。


【第3楽章:悲痛に】

穏やかな暗闇を思わせる、ファゴットとイングリッシュホルンが奏でる物憂げな歌。

突如として湧き起こる、激しい慟哭…。

穏やかなホルンの響きが、逆に寂寥感がいや増します…。

最後に強打されるティンパニーは、言葉にならないような慟哭…!

「死とは、自然への回帰!」

そんな言葉が、ふと頭をよぎる楽章です…。


【第4楽章:泰然と】

パステルで描かれた黄昏時のような、やわらかい色彩に覆われた田園風景を思わせる曲。

フルートの柔らかな音色が印象的…。


【第5楽章:アレルヤ】

私には、華やかな祭の賑わいを思わせる曲。

神を賛美し、喜びを表わす「アレルヤ」が、フーガ形式で高らかに歌い上げるれるこの楽章。

彼岸での幸福を確信するかの如くに、華やかに展開されていきます。


この交響曲が、「死者への弔いの音楽」と銘打たれてしまうと、

死生観の違い故でしょうが、私にはあまりに楽天的で、脳天気なものと思われ、

死者を冒涜しているように思えてしまいますが…。

しかし、そういった先入観なしに聴くこの音楽は、大らかな人生観に満ちた佳曲と、素直に思えます!

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