最近聴いたCD

ショスタコーヴィチ:
弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調

ボロディン弦楽四重奏団


1960年に書かれたこの曲は、簡潔極まりない手法で、最小限の音符しか使わないように配慮されたと言われ、

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏では初めて短調で書かれた作品。

「6年前に亡くなった、妻ニーナの想い出に捧げられた」と、言われているのですが…。


【第1楽章:Allegretto】

謎かけのような、或いは未知の何かが訪れるような不思議な雰囲気を漂わせて開始されますが、

楽章全体には諧謔を弄したとも思える雰囲気が漂います。

そして、解決が付かないままに、アタッカで次の楽章へと…


【第2楽章:Lento】

光を通さない薄暗い沼の底から、遥か彼方に鋭く光り輝く純粋無垢な美しさを希求する…。

実体は希薄で、観念性の高い音楽と感じさせつつも、

虚空に漂う美しくペシミスチックな雰囲気に一種の憧れを感じ、心地良く陶酔出来る、

ショスタコーヴィチ特有の、不思議な魅力を有した楽章です!


【第3楽章:Allegro−Allegretto】

暴力的に開始されるAllegro部では気持がかき乱され、

次いで楽器を変えながら、繰り返し鋭く執拗に襲いかかるようなフーガ風の旋律によって、次第に葛藤は高まっていきますが、

やがて息絶え絶えとなり、深いため息とともに虚しさが訪れて…。


妻の死から6年も(?)経過していて、

且つ前述した内容のように聴き取れるこの作品が、

何故、亡き妻の想い出に捧げられたのか、私には理解し難いところであり、

その解決は、今後に出遭う演奏に委ねざるを得ないのですが…。


それはともかくとして、ボロディン四重奏団による演奏を聴いていると、

鋼鉄のような無機的な冷たい光に純粋無垢な美しさを感じたり、

随所にちりばめられた諧謔味ににんまりしながらも、

次第に知的好奇心が充足されていく悦びが感じられるのです。

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