最近聴いたCD

J.シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲

オットー・クレンペラー指揮  フィルハーモニー管弦楽団 


毎年、元旦に放映さているウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートで、C.クライバーの指揮する「こうもり」序曲を聴いたのは、

CDのジャケットに“1989”と書かれていますから、もう四半世紀近く以前のことだったのですね。

鮮烈な体験というのは、いつまで経っても色褪せないものだと、つくづく思います!


喜歌劇「こうもり」のストーリーは、酒の上でのお遊び的なもので、取るに足らないもの。

しかし、序曲は様々な場面の音楽が接続曲風に構成されたもので、美しく愉悦感に溢れており、

20〜30歳代の頃、仕事や私生活で気分が塞いだ時には、よくボスコフスキー/ウィーン・フィルのLP盤を取り出して、

指揮者になったつもりで棒を振ってストレスを発散、

今流行りの言葉で、“元気と勇気”を貰ったものでした。


ところが、TV放映されたニューイヤーで、クライバーの流麗且つ躍動感に溢れた伸縮自在な指揮ぶりに触れて以来、

あの高貴さの中に愉悦感溢れるボスコフスキー盤ですらが、杓子定規な演奏と思えてしまい、

爾来、「こうもり」序曲はクライバー盤と刷り込まれて、はや四半世紀が経過しているのですね!


今日エントリーするクレンペラー盤は、「ロマン派交響曲、序曲集」の10枚組ボックスセットに収録されているもの。

全く期待せずに、怖いもの聴きたさにCDのトレイに載せましたが…。

しかし一聴した後、なぜか心に残るものがあり、その後二度三度と繰り返し聴いています。


この演奏に、何故にかくも惹かれるのでしょうか?

ボスコフスキーやクラーバー盤のような、洗練さは全く感じられません!

どちらかというとぶっきらぼうで、リタルランドをかけるところは、如何にも大げさです…。

しかし、繰り返し聴くうちに、この演奏には、随所にウィーン流とは異なった繊細な工夫が施されていて、

曲の愉しさや美しさは勿論のこと、

オペレッタ特有の社会風刺的な側面が見事に表現されており、

その愉しさに惹かれていることに、気付きました。


「ウィーン流に拘らなくっても、こんなに愉しい音楽なんだよ!」

そんなクレンペラーの声が聴こえてくるような、演奏です…!

「どれが優れた演奏か!」などと比較するつもりは、毛頭ありません。

こんな面白い魅力を有した演奏もあるということで、エントリーした次第です。

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