1833年に我が子二人を相次いで亡くすという悲劇に遭った後、翌年にかけてその悲しみを詩篇に表わしました。
1901〜04年、マーラーはその中から5篇を選んで、管弦楽伴奏による歌曲集を作曲しました。
この時期、マーラーはアルマと知り合って結婚、二人の娘に恵まれたのですが…。
この曲集の完成から4年後、マーラー夫妻は、猩紅熱のために長女を亡くすという、悲痛な現実に直面してしまいます。
マーラーは、この不幸の後に音楽学者のアイドラーに宛てた手紙の中で、
「この曲は、私の子供が死んだと想定して作曲したもの。実際に長女を失った後に、このような曲を書くことなど、とてもできません」
このように記しているそうです。
文面から推して、「亡き子を偲ぶ歌」と長女の死との因果関係を問うた音楽学者アイドラーの、心ない質問に対する返書だろうと思われますが、
偉大な創造者で有るべきプロとしての作曲家の宿命と、
そんな創造が現実となってしまい、亡き子への慙愧の念に堪えない複雑な心境が、痛いほどに伝わってくる文章です。
エントリーするのは、カスリーン・フェリアーのメゾと、B.ワルター/ウィーン・フィルによる1949年の演奏。
惻々とした悲しみが伝わってくるフェリアーの歌唱と、ウィーン・フィルの木管楽器の切々と心を打つ音色の素晴らしさ!
実はこの5年間に、家族同様に暮らしていた4匹の愛犬を、それぞれ15〜17歳で亡くした私には、聴くことすら大変に辛かった曲なのですが、ようやく悲しみにも慣れてきたのかもしれません…。
久しぶりに、しみじみと安らかな気持ちで聴くことができました。
【第1曲:いま太陽は輝きのぼる】
オーボエをはじめとする木管楽器の、寂寥とした響き!
感情を極力押し殺したフェリアーの歌唱は、無表情に地獄の底を覗き見るようで、悲しみの深さがストレートに伝わってきます。
【第2曲:なぜ、そのように暗いまなざしで】
慟哭するような弦楽器の響きで開始される冒頭部も、
やがて懐かしい日々が、感情の機微細やかに回想されていきますが、ここでの木管の響きの美しいこと!
【第3曲:お前たちのお母さんがはいってくる時】
独り野辺を逍遙するような、寂しげな音楽。
子供たちの無邪気な姿を二度と目にすることができない、そんな寂しさが痛切に伝わってきます。
【第4曲:子どもたちは、ちょっと出かけているだけだ】
枯葉舞う晩秋のある日を思い浮かべるような、オーケストラの響き。
虚しく儚さを湛えたフェリアーの歌唱が、素晴らしく印象的!
【第5曲:こんな嵐に】
オーケストラが奏する地獄に吹く風を思わせる音楽は、我が子を亡くし、荒み、錯乱した親の心を表現しているのでしょうか。
最後には、子供たちの安らぎを祈るかのように、…。
60年以上前の録音ですが、是非とも一聴されることをお薦めします!