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G.マーラー:歌曲集「亡き子をしのぶ歌」

カスリーン・フェリーア(メゾ・ソプラノ) 
ブルーノ・ワルター指揮  ウィーン・フィル 


東洋学の教授であり詩人でもあったリュッケルト(独:1788-1866)は、

1833年に我が子二人を相次いで亡くすという悲劇に遭った後、翌年にかけてその悲しみを詩篇に表わしました。

1901〜04年、マーラーはその中から5篇を選んで、管弦楽伴奏による歌曲集を作曲しました。

この時期、マーラーはアルマと知り合って結婚、二人の娘に恵まれたのですが…。

この曲集の完成から4年後、マーラー夫妻は、猩紅熱のために長女を亡くすという、悲痛な現実に直面してしまいます。


マーラーは、この不幸の後に音楽学者のアイドラーに宛てた手紙の中で、

「この曲は、私の子供が死んだと想定して作曲したもの。実際に長女を失った後に、このような曲を書くことなど、とてもできません」

このように記しているそうです。

文面から推して、「亡き子を偲ぶ歌」と長女の死との因果関係を問うた音楽学者アイドラーの、心ない質問に対する返書だろうと思われますが、

偉大な創造者で有るべきプロとしての作曲家の宿命と、

そんな創造が現実となってしまい、亡き子への慙愧の念に堪えない複雑な心境が、痛いほどに伝わってくる文章です。


エントリーするのは、カスリーン・フェリアーのメゾと、B.ワルター/ウィーン・フィルによる1949年の演奏。

惻々とした悲しみが伝わってくるフェリアーの歌唱と、ウィーン・フィルの木管楽器の切々と心を打つ音色の素晴らしさ!

実はこの5年間に、家族同様に暮らしていた4匹の愛犬を、それぞれ15〜17歳で亡くした私には、聴くことすら大変に辛かった曲なのですが、ようやく悲しみにも慣れてきたのかもしれません…。

久しぶりに、しみじみと安らかな気持ちで聴くことができました。


【第1曲:いま太陽は輝きのぼる】

オーボエをはじめとする木管楽器の、寂寥とした響き!

感情を極力押し殺したフェリアーの歌唱は、無表情に地獄の底を覗き見るようで、悲しみの深さがストレートに伝わってきます。


【第2曲:なぜ、そのように暗いまなざしで】

慟哭するような弦楽器の響きで開始される冒頭部も、

やがて懐かしい日々が、感情の機微細やかに回想されていきますが、ここでの木管の響きの美しいこと!


【第3曲:お前たちのお母さんがはいってくる時】

独り野辺を逍遙するような、寂しげな音楽。

子供たちの無邪気な姿を二度と目にすることができない、そんな寂しさが痛切に伝わってきます。


【第4曲:子どもたちは、ちょっと出かけているだけだ】

枯葉舞う晩秋のある日を思い浮かべるような、オーケストラの響き。

虚しく儚さを湛えたフェリアーの歌唱が、素晴らしく印象的!


【第5曲:こんな嵐に】

オーケストラが奏する地獄に吹く風を思わせる音楽は、我が子を亡くし、荒み、錯乱した親の心を表現しているのでしょうか。

最後には、子供たちの安らぎを祈るかのように、…。


60年以上前の録音ですが、是非とも一聴されることをお薦めします!

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