人間との結婚を願う水の精の王は、
ある日、母親の忠告を聞かずに湖畔へ洗濯に来た娘を湖底の王国へと引き摺り込み、子供をもうけます。
しかし、王妃となった娘は、「全てが陰気で、殺伐とし、陽の光は全く射さず、沈黙と冷気が漂い、胸には何の希望もない」湖底での生活に馴染めず、王との諍いを繰り返します。
やっとの思いで、一日だけの約束で、我が子を人質に置いて地上に里帰りしますが、
両親に引き留められて約束の時間に戻ることができず、
激怒した王は子供を惨殺し、娘の実家の扉に叩きつける、といった内容。
童話やお伽話に良くある、残虐さの中に教訓を盛り込んだお話です…。
こういった内容の音楽ですが、劇的なストーリーが展開される解釈よりも、
民族的な色彩感が強く感じられるような演奏が、味わい深く、曲に相応しいと感じます。
で、エントリーする演奏は、民族的で野趣に富んだ、コシュラー指揮するスロヴァキア・フィルのもの。
劇的な盛り上がりを前面に押し出した解釈とは一線を画し、
さらりと昔話を語るような解釈に、味わいの深さが感じられます!
一聴すると爽やかで、民族的な舞曲を思わせる水の精を表わす主題。
優しく、望郷の念を湛えたような娘を表わす主題と、
短調の悲しみを帯びた娘の両親(母親)を表わす主題。
以上を把握しておけば、曲の表情の変化に身を任せながら、容易にストーリーの」展開を楽しむことができますし、
随所にドヴォルザークらしい、素朴で美しいメロディに感嘆しながら、聴き通すことができます。
一例を挙げると、娘の湖底での生活の悲しみ・気だるい無気力さの表現は、
彼女のフラストレーションを見事に表出していますし、
一転して、里帰りした娘ののどかな心を表出するホルンの響きは、秀逸だと感じます。
渡米によって、作曲家としての国際的名声を不動のものとしたドヴォルザークは、
残された生涯を、祖国を舞台にした歌劇を創造すべく意欲を燃やしたと言われています。
この4部作は、そのための準備段階との説もあるようですが、
人物描写の点で最も優れているのが、この作品のように思えるのです…。