若い頃、「楽聖」と神格化されたベートーヴェンのピアノソナタ全曲を、
「鍵盤上の嗣子王」バックハウスの演奏を最高のものと信じこんで、
高邁・崇高な精神を聴き取るべく、一心不乱に傾聴したものでした。
しかし40歳を過ぎた頃からは、
ドイツ精神主義の衣を払拭して、曲ごとにベートーヴェンの人間的な側面を捉えた解釈、
例えばブレンデルやアシュケナージの演奏などに、親しみを覚えるようになりました。
今日エントリーする第5番を、アシュケナージの演奏で聴くと、
ベートーヴェンが好意を寄せた愛らしく親しみ易い、ごく身近な女性像を描いた作品かと思えるのですが…。
ところが、この曲をポリーニ盤で聴くと…。
近年ポリーニは、ベートーヴェンの初・中期のソナタをほぼ全曲録音しており、当初は大いに期待をしていたのですが…。
ところが、あまりに美しく、唖然とするほどに完璧で、
私的にはそんなベートーヴェンの初・中期作品には、全くと言ってよいほど、面白みが感じられませんでした。
ところが今日は、この完璧な美しさを有した演奏が、心の奥深くに沁み入ってきます。
ポリーニが紡ぐベートーヴェンが思い描いた理想の女性像(?)が、
学生時代に盲目的に読んだ(後論、理解はできていませんが)、ダンテの『神曲』のベアトリーチェ像とダブるような感慨を抱きました。
彼の弾くソナタや協奏曲へのアプローチが、何となく理解できたようyに思えて、
あらためて彼のベートーヴェン演奏を聴き直してみようと思った次第です!