後年の研究によって、他の作曲家を作品を編曲したものであることが判明しています。
演奏旅行で訪れたパリで触れた作品を基に、
父レオポルドの命で、協奏曲の作曲法を習得させるために書いたとされています。
そんな時期の作品ですから、同じ楽章の中で曲想のバランスがとれておらず、「これがモーツァルト?」と思ってしまうほど稚拙に感じるところもあるのですが…。
しかし他人の作品からインスピレーションが刺戟されたのでしょうか、
後期作品にも通じるような、深化した表現が時に聴き取れるのです。
そんな楽しみを抱きながら、時々これら4曲を取り出しては聴いています。
第1番の第1楽章オーケストラ部からは、彼の後期作品からしばしば聴き取れる、情念のの迸りを…。
第2楽章のカデンッオ部では、幻想曲に聴ける仄暗い深みが発見できます。
第2番の第1楽章では、燃えたぎるパトスを湛えた後期の協奏曲の趣きが…。
第3番の第1楽章では、短調への転調部分における、唖然とするような美しさと、
第2楽章の、トリルに彩られた流れるような独奏ピアノの美しさ!
第4楽章の第1楽章では、ピアノによってていじされた主題が、どんどんと深みを増していくところ等々……。
エントリーする演奏は、ゲザ・アンダの弾き振りによるもの、1961〜69年にかけての録音です。
美しい音色と、
波一つ立てずに水面を滑るように泳ぐ白鳥のような優雅な佇まい、
そして決して高ぶることのない気品の高い演奏ゆえに、
この人のモーツァルト、ショパン演奏には、格別に深い愛着を抱いています。
これら4曲も、アンダの演奏ゆえに得られた感慨かもしれません。
隠されたお宝探しのつもりで、お聴きになられることをお薦めしたいと思います。