しかし、完全な形での上演の見通しが立たなかったために、
翌年、歌劇中の幾つかの主題を用い、標題を持たない絶対音楽を意図して、交響曲第3番を作曲しました。
今日エントリーするのは、明晰なテンポと切れの鋭いアンサンブル、冴えわたる抒情、そして噴出する爆発的なエネルギー感等々…、
曲の随所に魅力が満載された、キタエンコ指揮するケルン・ゲルツェニヒ管による演奏です。
第1楽章:Moderato
全てを壊滅状態に陥れるような、破壊的なエネルギー感を有する序奏部は、絶望の表現でしようか…。
主部では、
儚い悲しみ、
ひたむきな美しさ、
時に威圧的に、
時にリリカルに、
時に勇ましい行進曲風にと、
複雑な人間模様が連想されるとともに、
不思議な快感にどっぷりと浸れる音楽です。
最後は、不気味さをを湛えつつ、曲は鎮まっていきます。
第2楽章:Andante
冷たい月の光が降り注ぐ、荒涼としたロシアの大地。
時々聞こえる、不気味な地鳴り…。
冴え冴えとした美しさは、ある意味オカルト的な神秘感が漂いますが、
大地に潜む恐ろしいまでのエネルギー感には、内包された力強さが感じられるのです。
第3楽章:Alegro agitato
弦の奏でる“キュンキュン”という不思議な音は、虎落笛(もがりぶえ:冬の激しい風が竹垣や柵などに吹きつけて発する笛のような音)のようで、
烈風吹きすさぶ厳冬のロシアの大地を髣髴します。
中間部の、極寒を思わせる朦朧とした寂寥感も、大変に印象的。
後半部は、降り積もった雪を空中高く巻き上げる地吹雪を思わせる、物凄いエネルギー感!
第4楽章:Andante mosso
破壊的エネルギーの炸裂、寂寥感漂う中を歩む葬送の行進と弔いの鐘の音…。
にもかかわらず、この音楽に共感できるのは、どこか未来志向的な何かが内包されているように感じ取れるからだと思うのです。
ある意味、ショスタコーヴィチ以上に体制への批判が込められていると思われ、聴後に爽快感すら覚えるこの曲、
皆さまは、どのようにお考えになるのでしょうか。