1923年、モスクワ音楽院の卒業生によって結成されたベートーヴェン四重奏団の名称は、1931年に政府から拝命したもので、
適切な表現ではないと思うのですが、いわばスターリン時代の政府のお抱え四重奏団。
当時、実力はNo.1だったとはいえ、彼らに曲を献呈するショスタコーヴィチの行為には、
時に応じて優柔不断に体制に迎合してご機嫌取りをする人間性が垣間見えるように思えて、辟易するのです…。
しかしながら、彼が生み出す機知に富んだ、或いはこの世のものとは思えないほど透明な美しさを湛えた音楽には、一も二もなく感服せざるを得ません。
3つの楽章から構成され、切れ目なく演奏されるこの曲を、切れ味鋭く、かつ静謐感に溢れたエマーソン四重奏団の演奏で。
第1楽章:Allegro non troppo
聴き馴染んだポーランの民謡をパロディー化したものと思われる、明るく快活な旋律で開始される第1楽章。
自国の民謡のパロディ化することを避けて、同じ共産主義国家の民謡を代用したのでしょうか?
やがて、心を抑圧するような音楽が執拗なまでに繰り返されますが、曲の進行に伴って鋭さを増していきます。
その後再び明るさが戻り、ロシア正教の聖歌(R=コルサコフの「ロシアの復活祭」)が、ヴァイオリンによって静かに奏されます。
第2楽章:Andante
一切の夾雑物を削ぎ落としたような澄み切った寂寥感が漂う第2楽章。
周囲から隔絶された、無の空間に放置されたような、救いようのない寂寥感…
そう言い換えた方が、適切なのかもしれません。
心が打ち沈んでいた時には、恐ろしくって、とても聴くことができない音楽…。
この寂寥感を受け容れらることができる今の私は、多分幸せな生活が送れているのでしょう…。
第3楽章:Moderate-Allegretto
第2楽章の余韻が漂う中、愉しげな。幾分諧謔味を帯びたワルツリズムに乗って気分は高揚していきますが、
反面じわじわと圧迫感が増大し、ついには思い詰めたような悲しみや嘆息、象徴的な音楽です。
再びワルツが回帰し、最後に訪れるのは虚無感か、それとも魂の浄化…。
彼の音楽を聴いて、結論を見出すことはできませんが、
ただ、根なし草のような心地良い逍遙感に身を委ねることのできる今は、彼の音楽を好んで聴いています。