その原因は、学生時代に授業やクラブ活動の合間を縫ってよく通った、音楽喫茶での体験が尾を引いていたのだと考えています。
この喫茶店は縦長の造りで、
窓がないために薄暗く、
客は全員スピーカーと対峙して坐り、
レコード演奏中は私語は一切禁止、
一人1曲のリクエストが可、
コーヒー1杯でいくら粘っても嫌な顔をされない(普通の喫茶店の倍の値段でしたが)など、
典型的なクラシック・オタクのための店でした。
近くには京都市立芸術大学があって(現在は郊外に移転)、音楽科の学生が数多く出入りしていたのですが、
彼らのリクエストはバッハ作品が圧倒的に多く、行くたびに必ず流れていたように思います。
当時の私は、重厚長大なオーケストラ曲にしか興味がありませんでした。
今から思えば、他人様のリクエスト曲も楽しんでおけばよかったのでしょうが、
次の授業開始の時間を気にしながら、自分のリクエスト曲がかけられるのを、「まだか、まだか!」とイライラしながら待っていたように思います。
「バッハを聴いてイライラするのは、パブロフ博士の条件反射と同じ理屈。私は犬並み!」と気付くまでには、ほぼ四半世紀の歳月を要したことになります。
でも、最近は逆に、イライラした時に聴くバッハ、特に平均律は、最高の鎮静剤となっています!
今日は第1巻の13〜18番を、ポリーニの演奏で聴いたのですが、とりわけ印象的だったのは、第13番の変ヘ長調。
プレリュードの、右手が奏でる透明に光輝くトリルの繊細さと、時にほのかな哀愁を漂わせる旋律の美しさ!
雲ひとつない澄みきった秋の空を思わせるような演奏です。
バッハのフーガと聞くと、堅固に築き上げられていく大建造物をイメージしながら聴くことが多いのですが、
色彩を微妙に変化させながら弾き進んでいくポリーニの演奏からは、
色とりどりの木の葉が次々と舞い落ちる風情が、
フーガという形式を用いて、繊細に美しく表現されているように感じられました。
今日はピアノでの演奏をエントリーしましたが、こういった曲想の作品!
チェンバロでの演奏が、無性に聴きたくなってきました。