初霜が降りた今朝は、こんな旋律が無性に聴きたくなってきました。
去年の確か今頃にも、やはりこの曲を聴いたように記憶しています。
この主題、切なくって瞑想的で、大好きなのですが、
これまで聴いた幾つかのディスクでは、冒頭旋律が何度か繰り返されるうちに、女々しい男の戯言を聴くようで、どうにも鼻についてしまって…。
この曲は、もっぱらチェロがピアノよりも低い音域で奏されるためか、
荒削りでがっしりとした、気骨のある男っぽさをイメージしてしまいます。
今日取り出したディスクは、ロストロポーヴィチのチェロと、R.ゼルキンのピアノによるもの。
私は、ロストロポーヴィチが加わった室内楽演奏は、実はあまり好きではありません。
彼が奔放に弾きまくって、共演者の個性やアンサンブルを乱すような、そんな負のイメージを抱くことが多かったからです。
しかしこの演奏、とりわけ第1楽章:Allegro non troppoでは、
大長老ゼルキンの穏やかで慈しみ深いブラームス解釈に寄り添って、抑制された表現がなされているために、
秋雨に煙るうら寂しい風情が、時に哲学的な瞑想に耽るような高みを感じさせる、素晴らしい音楽に仕上がった骨太な演奏だと思います。
第2楽章:Allegretto quasi menuettoは、ブラームス流の諧謔性なのでしょうか。
楽しげであり、悲しげでもあり、不安げでもある、心の落ち着きどころが定まらない不思議な感慨を有するメヌエット。
トリオ部の滑らかで美しい旋律も、どこか不安定な心境を映し出すよう。
両者の感傷を抑えたために生ずる武骨さが、なんとも味わい深く感じられる演奏です!
第3楽章:Allegro-Piu presto
バッハの「フーガの技法:コントラプンクトゥス13番」より採られた第1主題が、フーガ風に処理されて感情が高揚。
次いで提示される親しみ深い第2主題とが絡まりながら、徐々に明るさを増しつつ、一層白熱的に高揚していきます!
ブラームスの音楽で時に感じる女々しさ、私は決して嫌いなわけではないのですが、
この曲だけは、何故か頑なに拒絶反応を起こしてしまうのです…。