異教徒征伐の名目で派遣される十字軍の遠征の失敗は度重なり、教会や聖職者の堕落や腐敗ぶりは目に余るもので、その権威は凋落の一途をたどっていきます。
そんな折の1409年、プラハ大学の総長であり宗教思想家ヤン・フスは、免罪符販売に代表されるカトリック教会の堕落ぶりを批判しますが、
異端者として断罪され、火あぶりの刑に処せられます。
そのことを知った彼の支持者(=フス教徒)の教会に対する不信感は頂点に達し、逆に強い絆で結ばれて、彼らを征伐するために派遣された十字軍を次々と撃破…。
プラハの旧市街広場には、今も民族的英雄フスの銅像が立っています。
この曲は、そんな彼の功績を讃える演劇のための序曲で、1883年にプラハで初演されました。
金管による厳かな祈りのような、宗教的な雰囲気で曲は開始されますが、ここで奏される聴いたことがある旋律は、フス教徒時代に作曲されたとされる、コラール「汝ら」神の戦士たち」。
フス教徒の象徴として登場するもので、既にスメタナの交響詩「我が祖国」第5、6曲目にも使われています。
この旋律を軸として曲は力強さを増していきますが、これはフス教徒の蜂起を表わしているのでしょう。
いったん静まった後に、大聖堂での儀式を思わせる厳かなコラールが登場しますが、
これは「チェコ民族の守り神」と崇められたボヘミア王ヴァーツラフ1世(1205-53)を讃えて、当時に作られたもの。
この旋律は最後にも登場し、祖国の勝利を讃えるように、高らかになり響くという、いかにも愛国的な音楽ではあります…。
ドヴォルザークには珍しく、劇的な要素を際立たせた作品ですが、
曲の随所には、彼が描くボヘミアの美しい自然が垣間見れて、それが曲としての魅力を引き立てているように感じます。
ともすれば単調に聴こえがちなこの曲ですが、クーベリック/バイエルン放送響は、劇的な要素と自然の描写を際立たせた、素晴らしい演奏だと思います。