ウィーンの聴衆や評論家との折り合いが悪く、それが原因で1901年4月に辞任。
その年の12月に、作曲家アルマ・シントラーにプロポーズし、翌年3月に結婚、その年の10月には長女が誕生しました。
そんな出来事があった1901-2年にかけて、自ら選択して歌曲集としてまとめ上げたリッケルトの詩の内容から、当時の心理状態を推測し、
同時期に書かれた交響曲第5、6番を考察することも、面白いのではないでしょうか。
尚、5曲の順番は特に指定されておらず、演奏者によってまちまちですが…。
エントリーするのは、ヴァルトラウト・マイヤーのメゾ、マゼール指揮するバイエルン放送管による演奏。
第1曲:私の歌の中まで覗かないで
自分を知りたがる恋人をはぐらかし、じれったくさせる、そんな無邪気な乙女心…
第2曲:私はほのかな香りを嗅いだ
恋人が手折って贈ったシナノキの枝を愛おしく思う乙女心…
第5曲:あなたが、美しさゆえに私を愛するのなら
「美貌や若さ、富ゆえに私を愛することは止めて!でも、真の愛があるのなら、私を愛して!」だそうです。
アルマという存在がもたらしてくれた幸福感が、これら3篇の詩を選ばせたのでしょうか。
しかしこの歌曲集で内容的に素晴らしいと思ったのは、ウィーン・フィル首席指揮者を辞任するまでに精神的に追い込まれ、厭世感に陥った心境を髣髴させる2曲。
第3曲:真夜中に
弦楽器が全く使われないオーケストラの伴奏、
満天の星たちは、一つとして私に微笑まず、
深く思いを巡らせども、どんな考えも私の慰めにはならない………
絶望の淵、鳥の声を思わせるクラリネットが、寂寥感を深めます。
挫けた心に、金管によるコラールが空々しく鳴り響いて、全てを神に委ねるという、開き直った心境が…
第4曲:私はこの世に忘れられて
「私はこの世で忘れられた」
「死んでしまったと、誰もが思っているだろう」
「今、私は一人で己の平安の中、そして己の愛と歌のなかに生きている」
イングリッシュホルンの奏でる寂寥として透明な前奏部から、曲に惹き込まれてしまいます。
マイヤーの明晰で曖昧さのない声(というか発音)は、音楽のアーティキュレーションとして自然な流れを生み出し、
かつ詩の内容を完璧に掌握しているからでしょうが、巧まずして力強さや劇性が表出されています。
マゼールの指揮するオケも素晴らしいのですが、
とりわけマイヤーの歌唱に沿って、当意即妙に奏される木管の音色は、絶品中の絶品!
今秋初めての氷点下を記録、物淋しさを覚える季節に相応しい、感動的な演奏でした。