少年時代のドビュッシーが暗く貧しい生活を送っていたことは、多くの研究者の一致した見解だそうですが、
そんな彼が、海には無数の幸福な想い出を抱いており、
「そんな記憶を基にして、この作品を書き上げた」と述懐しています。
どこの海を描いたのかは興味のあるところであり、当初予定された第1曲のタイトル「サンギネールの島々の美しい情景」から推測することはできますが、
楽譜出版時には、「海の夜明けから真昼まで」と変更され、地名は削除されています。
そんな経緯から、ドビュッシーが意図したのは特定の海の情景を描くことではなく、
心に刻み込まれた海への印象を描いた作品であると考えられています。
海辺で生まれ、育ったわけではありません。
せいぜい子供の頃に、夏休みになると父親に連れられて、日帰りで海水浴に行ったくらいの体験しかなかったのですが、
半世紀ほど以前に、TVでアンセルメの指揮する演奏で初めて聴いた時から、なぜか言いしれぬノスタルジーが感じられた曲でした!
爾来、そんな感慨を求めて、今日まで聴き続けてきました。
しかし期待を裏切られる演奏にも少なからず遭遇し、
そのために生半可な演奏を聴きたくないとの思いも強く抱くようになった、それほどに偏愛している一曲でもあります。
今日エントリーするのは、デュトワ指揮するモントリオール管の演奏!
正直申しまして、独墺露系の音楽では生温さを感じてしまうデュトワですが、
この曲に関しては、私が思い描く海のイメージに、これまで聴いた範囲でのどの演奏よりも同調できるのです。
第1曲「海の夜明けから真昼まで」では、日の出が近付くにつれて茜色に染まり始める大海原や大気の変化までもが、
楽器の音色や緩急の変化によって、大変に感動的に描かれていると思います。
第2曲「波の戯れ」では、風や光によって千変万化する波の様子が、スピーカーから波飛沫が飛び散るようなリアリティをもって演奏されています。
滑らかなフレーズでは子守唄のように優しく、
そして飛び散るように鮮烈なリズム感の素晴らしさ!
エンディングの静けさに溶け込むような音楽は、北斎の版画を髣髴するような日本的な情緒すら感じられます。
第3曲「風と海の対話」では、嵐の海に轟く凄まじい海鳴りの音や、
風に飛ばされた雲間から降り注ぐ、冴え冴えとした月の光の描写は、
自然に対する畏敬の念とも感じられます!
感情移入が過ぎるとの声も聴こえそうですが、
私にとっての『海』は、この一枚に尽きると思っています。