最近聴いたCD

クラウディオ・モンテヴェルディ:
聖母マリアの夕べの祈り

J.E.ガーディナー指揮  モンテヴェルディ管弦楽団・合唱団他


当初はマドリガーレ(16世紀にイタリアで発達した世俗的流行歌)の作曲家だったモンテヴェルディ(1567-1643)でしたが、

長男が神学生として奨学金を受け取れるようにしてやりたいとの親心から、1610年にローマ教皇の歓心を得るために初めて書いた宗教曲が、

マリア被昇天祭(聖母マリアの死後、霊魂も肉体もともに天国に上げられたというカトリック教会の教義)のお務めに使われる晩歌(夕べの祈り)として作曲されたのがこの作品。

しかしながらそんな親バカ的な目論見は、あえなく失敗に終わったとか。

バロック初期の宗教音楽の傑作であると同時に、ヨーロッパのキリスト教が生み出した屈指の名作と評される作品の誕生には、こんな裏事情があったそうです…。


ルネッサンス期の静的・均質・調和が求められたポリフォニーと呼ばれる多声音楽は、特定の歌詞が音楽に合わせて幾度も反復されることが通例であり、

そのために歌詞が本来そなえている詩としての形式美が損なわれるという欠点を有すると言われています。

私自身、CDで聴いた範囲でのそれらの多声音楽は、美しくはあっても単調で退屈な音楽と感じてしまうのは、そんな理由からなのかと思っています…。


そんな書法に飽き足りなさを覚えた作曲家は、

歌詞(言葉)の内容をもっとふさわしく表現するために、多声音楽から独唱重視・和声的な技法を試みるようになっていきます。

具体的には歌詞の抑揚を活かして、より直接的に独唱と伴奏で音楽を表現するという試みです。

ただ、そんな書法が試みられた『聖母マリアの夕べの祈り』に、従来からの厳格な多声音楽に準じた2曲のミサ曲(マニフィカト)も加えて同時に出版されたのは、

前述した親バカ的な目論見があったせいだと考証されているようです。


『聖母マリアの夕べの祈り』、とりわけ独唱者の声や、チタローネの繊細な音色がカテドールの空間に繊細に、かつ活き活きと響き渡るさまを聴いていると、

信仰心とは無縁な私ですが、時の過ぎるのを忘れ、宗教的な法悦感に浸っているような、そんな錯覚に陥ってしまいます。

比肩するものが見当たらないような、滋味尽きない音楽だと思います。


エントリーする演奏は、ガーディナー指揮するモンテヴェルディ管弦楽団・合唱団の1989年録音盤。

国内発売時にレコードアカデミー大賞を受賞した名盤とされたディスクですが、

この曲の素晴らしさを知るのに、20年近くの月日を要してしまいました!

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