ロシアでの革命を嫌って1918年にアメリカに亡命、1923年にはパリへと拠点を移しましたが、フランス6人組の陰に隠れて顧みられる機会が少なかったために、
起死回生を狙って、より前衛的な「鉄と鋼で出来た音楽」を意図して作曲されたのが、この交響曲第2番。
しかし、初演時のパリの聴衆の反応は、冷淡なものだったと言われています。
ロシア革命前後に勃発したロシアン・アバンギャルドの典型とも位置付けられるこの交響曲ですが、
その一方では、第1楽章の第1主題に沖縄民謡を思わせる旋律が、
そして第2楽章の変奏主題でも、いかにも雅な日本的な旋律を聴き取れるように思うのですが…。
1918年、アメリカに亡命する際にほぼ2ヶ月間日本に滞在しており、その際にピアノ協奏曲第3番(1921年完成)の原型となる曲を構想したとか。
ですから、その後に書かれた交響曲第2番にも、日本の旋律の影響がみられても不思議はないようにも思いますが、真実は如何に?…。
第1楽章の魅力は、力強く驀進・炸裂するエネルギー感や、吹きすさぶ烈風に晒されるような快感と、
懐かしさを覚える旋律とのなんとも不思議なマッチング…。
特に今日エントリーするロジェストヴェンスキー指揮するソヴィエト文化省交響楽団の爆裂系の演奏を耳にして、圧倒的な陶酔感を覚えてしまったがために、
他の演奏が生温く感じられてしまって…。
第2楽章の変奏曲主題は、私にはおぼろげな大気に漂う日本的情緒と感じられます。
第1変奏は、葬送の音楽のように感じられ…
第2変奏では、寂寥とした大地に吹きつける冷たい風を思わせるよう…
第3変奏は、戦闘的・破壊的エネルギー感が…
第4変奏は、荒涼とした大地を照らす月明りのよう…
第5変奏は、アグレッシヴに突進する音楽…
第6変奏では、大地をも揺り動かす破壊的なエネルギー感が…
そして、曲は変奏主題に戻って、穏やかに締めくくられます。
曲が完成してから85年が経過し、今や古典音楽として位置付けられるべき作品。
最も興味深い作曲家の一人として、様々な演奏を聴き込んでいきたいと思っています。