先日、この演奏で第1楽章を聴いた時、
何かで読んで記憶の片隅に埋もれていた吉田秀和氏の文章、
「川の流れに沿って歩く人と、水に映るその人の影とが、二つであって一つ、一つであって二つであるのを見るような心地がしてくる」
こんな文面を、突然思い出しました。
思い起こせば、この文章に啓発されて買ったバレンボイムのモーツァルトのピアノソナタ…。
2〜3度聴いてCD棚の片隅に眠っていたディスクでしたが、
その神髄の一端が、ようやく垣間見えてきたのでしょうか。
3月11日の大震災で、自然の脅威を身に沁みて感じてしまった我々ですが、
そんな体験をした後に聴くこの曲は、ヒトと自然とが相和するような、そんな親しげな音楽として、心に沁み入ってきます。
特に第1楽章は、自然との親愛な気持が心地良く響いてくる音楽。
小川のほとりでせせらぎの音を聴きながら、
湧き上がる喜びや、ふと思い浮かぶためらいの気持ちが、極めて自然な流れの中に表出されているようで、
最近、彼のピアノソナタの中でも最も愛聴している曲(楽章)であり、演奏でもあります。
第2楽章のバレンボイムの落ち着きはらった穏やかな演奏は、繰り返し聴くほどに味わいが深まるもの。
対照的に転調が繰り返され、落ち着きどころのない展開部以降は、モーツァルトの心の動揺が表現されているのでしょうか。
微妙な心の襞までが表現された、奥深い洞察力を感じる演奏です。
第3楽章は、一転して天真爛漫な音楽が…。
終曲に向かっては壮大さ、力強さが加わって…。
K.333のソナタ、最近、底知れぬ奥深さを湛えた音楽と感じるようyになりました。