それは何と言っても、ルーマニアの作曲家イヴァノヴィチの『ドナウ川の漣』でした。
その懐かしさのルーツは、小学生時代なのか、それとも中学校に入ってからなのか、
いずれにしても、多分音楽の授業で聴いたのであろう、あの第1ワルツの哀愁を帯びた感傷的な旋律は、
半世紀が経過した今も、私の心にしっかりと焼き付いています。
例えば、J.シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』は、どの指揮者の演奏を聴いても、思春期の想い出と直結した懐かしさが蘇りますが、
『ドナウ川の漣』は、逆に誰の演奏を聴いても表情が淡白で、
自分の想い出に残っている色濃い哀愁を感じることができず、一抹の寂しさを感じていたのです。
ところが、今日たまたまYou Tubeで、近衛秀麿指揮する新交響楽団の演奏を見つけて、何の気なしに聴いてみると…。
昭和4年(1929年)頃に録音されたらしいこの演奏の、盛大なノイズとともに流れてくる重々しい序奏部の懐かしいこと!
半世紀にもわたって私の心に残っている、哀愁が色濃く漂う『ドナウ川の漣』は、もしかしてこの演奏ではなかったのかと、ふと思い付きました。
序奏部が終わって、情緒纏綿と奏されるクラリネットの音色…。
多少泥臭くは思えるのですが、ポルタメントをかけつつテンポを揺らせながら奏される第1ワルツの、哀愁の色濃いこと!
「もしかすると…」との思いつきは、確信に変わっていきます。
そりゃ、オーマンディ/フィラデルフィア管のスマートで華麗な演奏と比べると、ダサさを感じてしまいますが、
思いの丈を込めたこの演奏の懐かしさは、感涙ものでした!
同年輩の『ドナウ川の漣』を愛好される方、一度この演奏を聴いてみてくださいね。