第2次世界大戦でドイツ軍占領下にあったパリで、1941年にようやく完成された作品。
そんな世相を反映してか、全曲を通じて陰鬱さに支配された音楽ですが、
私の中では「交響的運動三部作」の作曲家というイメージが根強いせいか、内面に秘められた物凄いエネルギーが感じる作品です。
第1楽章序奏部は、巨大な鋼鉄の塊を髣髴させる、冷え切った無機的な響きで開始されますが、
そこで奏でられるヴィオラ・ソロの響きには、救いのない悲痛さが…!
しかしそれに続く第1主題の炸裂するエネルギー感は、
あらん限りの力を振り絞って突進する時に得られる一種の快感と共通することに、救いが感じられるのです…。
第2楽章は、吐き出しようのない極限まで鬱積したエネルギー感に押しつぶされそうになりますが、
孤独で寂寥感に溢れた独奏チェロによる嘆きの歌に、僅かな救いが仄見えてきます。
「逃れようのない重苦しさの中にも、僅かな望みが仄見える」
そう言い直しても、よいでしょう。。
第3楽章の疾走するエネルギー感には、生命の躍動が感じられるもの。
フーガ部では、それがさらに力を増して、終結部の密やかな歓喜のコラールへと向かいます。
フィナーレでようやく登場するトランペットのほのかな明るさに、ようやくささやかな希望が感じられて…
含蓄深い音楽です!
今日エントリーするディスクは、M.ヤンソンス指揮するオスロ・フィルによる演奏。
作曲時の厭世的な世相を払拭するかのように、
力強いエネルギー感を漲らせた、秀逸な演奏だと思います。