最近聴いたCD

R.シューマン  交響曲第2番ハ長調 op.61 

ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 
 ドレスデン・シュターツカペレ管弦楽団


交響曲第2番のスケッチは、1845年末の僅か2週間余りで書き上げられましたが、

この前年から精神疾患の前兆に悩まされるようになり、その影響でオーケストレーションがままならず、シューマンにしては珍しく筆の運びが遅れて、曲が完成したのは翌年の10月のことでした。

完成に至るそんな経緯や、響きが地味で華やかさが感じられないせいか、

嘗てはまとまりに欠ける難渋な作品と評されていた記憶がありますし、私もシューマンの4曲の交響曲の中では、唯一親しめない作品でした。


しかし、CD黎明期に発売されたシノポリ/ウィーン・フィルの演奏(1983年録音)を聴いた時、それまで気付かなかったインスピレーションに溢れた旋律を随所で聴き取ることができて、目(耳)から鱗が落ちたことを覚えています。

ライナー・ノートにはシノポリ自身の言葉で、「シューマンのオーケストレーションは、元来音色・音量をバランスよく配分する効果を求めたものではなく、何かを喚起させるために、それぞれの楽器が持つ固有の音色を響かせる」

そんな内容の文章(多分?)を読んで、「なるほど!」と納得。シューマンの音楽を、すっかり理解したような錯覚に陥ったものでした…。


そこまでお世話になったディスクを捨てて、しかもそれまでは親しめなかったサヴァリッシュ/ドレスデン国立管(1972年録音)の演奏をエントリーするというのも節操のない話ですが、

このオケ特有の燻銀のような音色で語られる曲の味わい深さを知ってしまった以上、この演奏を無視することは到底できません…。


第1楽章、序奏部の鬱々とした響きの中にほの見える、僅かな希望のようなトランペットのくすんだ響き、
主部で提示される明るく活発な音楽は、次第に狂おしい情熱へと高まっていきます。

第2楽章は、不安定な感情が渦巻くようなスケルツォ。
トリオ部との区別が定かでないだけに、安らぎが殆ど見出せない、錯乱状態のままで終了します。

第3楽章は、天上を逍遥するような、大変に清らかで美しい楽章ですが、熱っぽい不安定さが…。
それは、心身共に疲労困憊した人間が、僅かに残された一条の活路にすがるような、
気弱な、しかし熱っぽさが込められた歌のように聴き取れます。
この楽章は、シューマンのみが語り得た真実の心かと…。

第4楽章は、冒頭から熱っぽい歓喜が渦巻き、第3楽章の主題が随所に現れてきます…。ただ、コーダでの力強い解決は、私には理解できない部分ではあります…。


とは言えこのディスクを聴いていると、一冊の哲学書を読み終えたような、

そんな充実した気分にさせてくれる演奏です。

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